海で静かに対話をするひと


「ゆり、元気にしてる?あした、お時間ある?」

土曜の夕方、唐突な連絡が来た。いつも唐突なのだ。出会って8年になる。来週のいついつに会おう、だなんていう約束は一度もしたことがない。いつも二人の約束は前日に決まる。そしてなぜか私も毎回予定が空いている。


よかった。最近は少しキャパオーバーになっていた。仕事は順調で楽しいけれど、人に自然と気を遣ってしまう私は人間関係に日頃からパワーを使うことが多い。ちょうど私も「そろそろ逢いたいな」と感じていたところだった。なので、少しだけドキッとした。彼はまさに、そういうときに逢いたい人なのだ。

「ゆりとはいつも海を見に行くけど、あしたも海を見に行こう」と彼は続けてきた。「そうだね。そうしよう」と返した。いつものパターンだ。数ヶ月に一度しか会わないのに、約束の流れがスムーズだ。


彼はとてもお洒落な人だ。すらっと背が高くて、いつもセンスの良いシンプルな服を身に纏う。音楽の趣味も良い。アンビエントやオルタナティヴのような、自然音を使うジャンルの有名ではないアーティストなんかは、ほとんど彼の影響で覚えた。言葉遣いも丁寧で、一人称もきちんと「俺」ではなく「僕」だ。それも彼の一部なのだと思う。恐らくどのような人から見ても素敵な人だと言えるし、言葉は悪いけれど、その辺の普通の女の子だったら、ちょっと彼に優しくされたら、一気に好きになってしまうのではないかと思う。


そんな彼との会話はいつも軽妙だ。はたから見るとファッションやその周辺のカルチャーが好きそうなカップルだが、会話の内容は本当にひどい。ひたすらボケとツッコミの繰り返しだ。海に向かう途中、車の中で「私たちって、8年間一度もまともな会話をしたことないよね」とこぼすと、「ひどい話だよ、そんな訳ないのに」と大真面目な顔で言った。「ゆりは変だね、やっぱり」と彼は続けた。申し訳ないがそっくりそのままお返しする。優しい人だ。このまま一生、優しいのだと思う。


「今年最後の綺麗な海を見たくなったんだ。もうすぐ冬がきて、直々に水面が濁るからね」という言葉を聞いて、確かにそうだな、と妙に納得した。「ここの海が好きなんだ」と、地元の人しか知らないような場所を案内してくれた。「本当だ、綺麗ね」「ふふ、そうでしょう」というような簡単な会話をしばらく続けた。「遅くなったけれど、これ誕生日プレゼントね」と、その辺に落ちていた貝をもらった。いらない。「ありがとう」とだけ言った。「冗談だよ、ちゃんと海に返してね」と言われたけど、なんとなくその行為に嬉しくなってこっそり持ち帰った。24歳に贈るにしては上等な贈り物だ。物欲が少ない私のことを彼はよく分かっている。


海辺を少し離れてからは港町をゆっくりと散歩して、住宅地にある老舗の喫茶店で珈琲を飲んだ。「つくづくここのお店はね、BGMが店の雰囲気にミスマッチでさ」と教えてくれた。確かに、運動会の徒競走で流れるような忙しない音楽が流れている。私の人生もつくづく徒競走みたいで忙しいな、と言いかけたけど「どういうことなの、それは」と真面目に返されそうなので言わなかった。


帰り道、最近疲れてしまっていることについて、少しだけ話した。「それってもしかして、この間言っていたお話?」と言われたが、当の本人はなんの話だったのか覚えていない。適当でごめん。私たちはカレーが好きで、よくカレーについて話す。美味しいお店の話やカレーの魅力について延々と話す。なのでカレーの話か、と聞いたら「いや違うよ、人付き合いの話」とすぐにすっとぼけた私の発言に重ねてきた。よく人の話を聞き、そして覚えているようだ。いつも私の言った言葉を全て覚えている。改めて感心してしまった。詳しくは話さなかったけど、「うん」とだけ言った。


「僕はいつだってマイペースなんだ」と言う彼は、私とは驚くくらい対照的な人間だ。モテる人だと思うが友達自体は多くなさそうだし、都会の高層ビルで情報過多の日々を送る私と違い、山の上にある静かな場所で働いている。環境がよくないと生活できないんだ、という彼は長年その場所で働いているようだが、私は他者ペースで柔軟に環境を変えるタイプなので、お互いが未知の世界の研究対象だ。例えばだけど、幽霊なんて見えないよ、と心霊スポットに来てもどっしり彼は構えている。その横で私は「幽霊を感じる」と言う。つまりはそういうことなのだ。


海沿いを走る日曜日の午後。大好きな道だ。免許を取りたての頃、一人で幾度か車を走らせたこともある。仕事の会話もした。すっかりキャリアウーマンになったんだね、と彼は笑った。あなたはいつもそうやって変わらないのね、と私も笑った。


私たちの外出は、何故かいつも晴れの日だ。穏やかで優しい太陽の下、海沿いを静かな車に乗って走る。この8年間の彼との時間は、まるで映画館で少しだけ上映されるミニシアター作品のようで、それはそれは美しい時間の数々だった。甘い時間ではないが、優しい時間だ。でもそれ以上に、なんだか雲に浮いているような、やっぱりおかしな時間だ。


「きっと、辛いことがあったんだね」と彼は言った。私はこくりと頷いた。その瞬間、初めて抱きしめられた。普段は手すら繋がないクリーンな関係性だけど、懐かしいような、初めてのような、とてつもない安堵感を覚えた。「心が荒んだら、いつだって僕を呼んで」と帰り際に彼は小さく言った。


彼とは出会って8年だけど、その間、4年くらい一切会わない時期があった。私が様々なことに挑戦して、すっかりと自分を見失っていた時期だ。そのあとまたこうして再会できたのは、何かの意味があると思っている。


大切なひとこそそばにいる、という意味が長年私には分からなかった。けれど、「友達」でも「恋人」でもない関係性を「大切」と言って良いのであれば、彼は私にとって間違いなく大切な存在だ。自分を見失ってしまった時、心が痛んで荒んだ時、いつも突然目の前に現れる。迎えにくる、という表現が正しいのかもしれない。そして私を海に連れ去っていく。車内はただのコントの繰り返しだけど、海についてからは、いつもほぼ会話をしない。その時間、私たちは言葉にできない言葉を交わす。お互いに何も言わなくても伝え合うということができる貴重な関係性だ。


すっかり暗くなった帰り道、彼は車中の音楽を変えた。アルバムの数曲目で突然「僕、この曲が一番好きなんだ」と彼は呟いた。偶然だけど、私もそのアーティストではその曲が一番好きだ。「いいよね」と彼が呟く。「いいよね」と私も呟く。


その夜はなんだかぐっすり眠れた。朝起きると「昨日はありがとう、よく眠れた?」と彼から連絡が来ていた。それを横目に、昨夜二人で聴いた音楽を携帯から改めて流してみた。「綺麗な海だね」という歌詞の一文が聴こえて小さく胸を焦がした。本当に綺麗な海だった。どうしてかは分からないけど、ぽろぽろと涙が出た。







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