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自分にとっての優しさと、相手の優しさを感じる心


優しさとは何だろう、ということを普段よく考える。

これは人により定義が違うものだと思う。例えば自分にとっての優しさが相手にとっては束縛やお節介になりうる場合もあるし、そういうことを考えると人に優しくしたいと思う時に自分はここでどういった行動を取るべきなのか?と迷いが生じることがある。


常に明るく快活に見える人にも、また冷静沈着に見える人にも時には人に言えないような悩みを抱えて考えることはあると思うし、誰かの優しさに触れていたい、という感情は誰でも有しているものだ。そういう時、一つだけいつも気をつけておきたいことがある。


ここで他者に優しさを求める時に大切なのは、自分にとっての優しさとは一体何なのか、ということを先に自分で分かっておくことと、その基準が相手にとっての優しさでもあるとは必ずしも限らない、と認識しておくことだ。


例えば悲しいことがあった時に「大丈夫?無理しないで」という寄り添い型の言葉が欲しい人もいれば、「ちゃんと見ているからめげずに頑張ってね」という労いの言葉が欲しい人もいるだろうし、ただただ、干渉されることなくそっとしておいてもらいたい人もいると思う。ここを自分で分からないまま他者に寄りかかると、相手なりの優しさを素直に受容することが難しくなってしまったり、むしろ人によっては迷惑だと感じる場合もあると思う。


私はリアルでもSNS上でもあまり感情を隠さない。自分自身にも他者にも嘘偽りなく自然体でありたいと思っているので、嬉しいことは嬉しい、悲しいことは悲しいと率直に表現するようにしている。度々周囲に心配をかけてしまうことも多いのだが、そういう時にそばにいてくれる人が自分に対してどのような優しさをそっと受け渡してくれているのか、敏感に察知できる人でありたい。どのような表現における優しさであっても、誰かを想うということには変わりないのだと思い、素直にありがたく受け取りたい。


ちなみに私が本当の優しさを感じる瞬間はただ、貴方がそこにいてくれている、ということを感じた時だ。慰めの言葉も労いの言葉も全てが勿論嬉しいが、例え身体的に離れていたとしても、精神的に相手がそばにいてくれると思うとそれだけでも十分救われる。


相手が状況をどうにかしてくれる訳ではなくても、自分には味方でいてくれる人がいるんだ、と思うと小さくとも希望を持てる。そういったスタンスでいてくれる人に限って「私は何もできないけれど」と言うのだが、私にとっては十分それが一番の優しさだ。大丈夫。ちゃんと届いてる。ありがとう。


そういえば、あなたがここにいて欲しい、というようなタイトルの本を中学生の頃に読んだ気がする。内容すらもうろ覚えだが、本棚の奥にまだあるだろうか。他者との関わりあいにおける本当の優しさとは一体何なのだろう。年月をかけて、ゆっくりと本質を掴んでいけたら、と思う。




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1994年生、札幌出身の25歳。フリーランス広報・ライター/モデル。リレーションデザイナー。大手旅行会社、IT企業の採用広報を経て、2019年独立・上京しました。得意分野は人物取材とウエディング。お仕事依頼はyurik.kawaguchi@gmail.comへ。
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