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この春を覚えていたい

3日前、待ち合わせまで45分あったから、
スタバに入って
ショートサイズのアイスラテを頼んで
外が見えるカウンターに座った。

ラテはアイスが好きだし、
席は窓際が好きだ。

手帳を開き、ペンを出す。

ペンを手にとり、3月も後半なのに
まだまっしろだった3月のページを書いていく。
本音がするする言葉になる。

「この春を覚えていたい」

するりと、ごく自然に、しかし明確に、
私の中からこの言葉が出てきた。
ひとたび書いたら、口に出したくなって、
口にしたら、ものすごくしっくりくる。
このフレーズが、頭の中を占拠して離れない。

留学した夏や、居場所を決めた春。
振り返ったら特別な季節になっていた
ということはこれまでもあったけれど、
これから始まる季節に対して
こういう気持ちを抱くのは初めてで、
だけど、書いてみて 口にして
ものすごくしっくりきたから、
この感覚がすべてなんだと思った。

覚えているということは
残すということ。
度々思い返すということ。
未来の「あのとき」になる今を味わうということ。

残すために、文章を書く。
残すために、写真を撮る。

そして「足りない今」を一生懸命に愛す。
あとから思い返すのは
味わい尽くした季節の記憶だし、
今を味わうというのは
ないものを羨むのではなく
あるものに目を向け 感じ尽くすことだから。

未来から見たら、この春が分岐点なのかもしれない。
毎日が色んな選択の連続だから
本当はいつだって分岐点なんだけど、
今までの選択に重ねるYESを選ぶより
違うかもと感じてNOを選ぶほうが
感覚的には大きな分岐点に思えるよね。

ほんとうに、この春を覚えていたい。

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