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「PR×サステナブルという掛け算でどこまでできるか、挑戦中です」 EPISODE2.「imperfect」PR事務局 内藤日香里さん

表参道ヒルズの一角に、ちょっと変わったフードマーケットがある。「imperfect」というそのショップは、生活者にも世界や社会にとってもプラスになる「ウェルフード」を提供している。今回登場するのは、ここで広報支援を務める内藤日香里さん。プロボノとして働いているエシカルブランドで、私が以前ELLEで取材をした、ウガンダ発のブランド「RICCI EVERYDAY」代表の仲本千津さんと同僚だったことで、今回のインタビューのご縁につながった。彼女はどんなきっかけで、サステナブルな社会のために働く道を歩んでいるのだろう?

内藤さんが社会問題に関心をもつようになったのは、高校生のとき。「社会の授業でフェアトレードの存在や“ピープル・ツリー”の活動の話を初めて聞き、遠い国の誰かを支えるその仕組みに“素敵な考え方だな”と感じたんです。振り返るとそれがきっかけですね」。この時の思いがあったのだろう、大学1年のとき、友人に誘われて学生の国際協力団体の説明会に参加し、そのまま所属することに。その団体は、紛争で夫を亡くした東ティモールのシングルマザーたちにビーズジュエリーの製作技術を指導し、グローバルフェスタや大学生協で販売するという活動を行っていた。そこで内藤さんは広報マーケティングチームに所属。「どうやって販路を拡大するか、活動を周知するかといった活動をしていました。今初めて気づきましたが、これが私のエシカルPRのスタート地点ですね(笑)」。とはいえ、実はここでの活動は不完全燃焼だったという内藤さん。「2年次にはマーケティングリーダーを任されていたのに、他のサークル活動やゼミを優先して、この団体の活動にしっかり関わりきれなかったという後悔があるんです。今もこういう活動をしているのは、そのときの自分への懺悔のようなものなのかもしれません」

卒業が近づき就職を考える頃、世の中は就職氷河期のピークだった。国際協力活動を行う非営利団体への就職も考えたものの、新卒を雇う余地のあるところはわずか。法学部だった内藤さんは公務員を目指し、区役所への入所が決まった。「公務員として公益に関わりながら、余暇で社会貢献活動をしようと計画していました。幸い地域振興の担当となり、地元のNPOや区民と共にスポーツを振興したり、教育委員会で幼稚園の運営に携わるなど、イメージに近い仕事ができたと思います」

入所半年後からプロボノ活動先探しを始め、入社2年目を迎える頃出会ったのがエチオピア発のエシカルブランド「andu amet」だった。「FBでプロボノの募集を知って“特別なスキルはありませんが何でもやります!”と熱烈にアピールして採用に。エチオピアの大量の領収書を渡されて整理したり、ギャラリーの店番をしたり、本当に何でもやりました」。この活動が、PRに携わる大きな契機となった。「たまたまPRの会議の時に事務所にいたら“議事録を取って”と言われ、それ以降PRチームに組み込まれて、オフィシャルブログ等の文章を書く機会を得ました。そこでオーナーの好みにフィットしたのか、文章周りの仕事を任せてもらえるようになったんです。 “文章で魅力を伝える仕事って楽しいな”と思うようになりました」

本業とプロボノの活動を並行して行うハードな日々だったが、就職して4年目が近づき、公務員の昇任試験の時期が訪れた。「周囲は半年ほど前から試験勉強を始めていましたが、私はそれよりもプロボノの活動が充実していたし、そこに関わっている人たちがすごく好きだったんです。本業もやりがいもあるし居心地が良かったものの、このまま昇任したとしても、生涯公務員を続けているイメージは浮かびませんでした。となると、これ以上公務員を長く続けていることはリスクじゃないかと感じるようになって」。昇任試験が仕事について見つめ直すきっかけとなり、転職を考えたという。

転職する以上、社会貢献に関わる仕事を選びたい。4年間の公務員経験はなかなか一般企業でのキャリアとしては認められなかったが、CO2排出削減を目指す会社を支援するコンサルティング会社にご縁を得て入社。けれどここは1年で離れることになった。「仕事自体は面白かったのですが、当時携わりたいと思っていた海外事業が縮小になったこと、また社内が不安定な状況だったこともあり、長く働くという気持ちに至らなかったんです」

ではこの先、どうしよう。とにかく何か一つ、自信をもてる専門スキルを身につけたい! そう考えた内藤さんが選んだのがPRの道だった。それは大学の学生団体で初めて任されたリーダー職であり、プロボノの活動で適性を認められた分野だった。「PRという分野で探し始めて応募した企業が、プロボノの同僚が営むウガンダ発ソーシャルファッションブランドのPRを請け負っていることがわかり、“PR会社で専門スキルを磨きながら社会貢献活動に関われるんだ”と気づいたんです」。社員3名の小さな会社だったが、社長は人を育てることに力を注いでくれたという。「スタートアップの企業を10社ほど請け負っていて、全員が全クライアントに関わっている状態。作業量もスピードも、これまで経験したことのないものでした。ここでいわゆる泥臭いPRをゼロから学びましたね」

この会社に勤めて2年半経った頃、現在勤務する「トランスメディア」との出会いがあった。「この会社が運営している、エシカルなライフスタイルを提案する“ethica”というwebマガジンで、ライターを募集していたんです。ここで未経験ながら半年ほど副業ライターをしていたところ、同社がメディア運営やPRを支援している“imperfect”のPR担当として声がかかって。勤めていたPR会社では子育てに対する理解はあったものの、仕事との両立に難しさを感じており、またかつてから望んでいた社会貢献企業で働けるということもあって、転職を決めました」

こうしてimperfectのPR支援に携わって約半年が経つ。大学の学生団体から約10年、内藤さんを一途に社会貢献への道へと走らせた、その原動力は何だったのだろうか。「自分でもなんでこんなにこだわっているのだろう?と振り返ってみると、根っこにあるのはやっぱり、幼少期のマイノリティとしての経験だと思います」。内藤さんは3歳から7歳まで、父の仕事の関係でアメリカに暮らしていたのだが、肌の色の違いもあり、引っ込み思案だった彼女はいじめにあっていた。自らかき消したのか、その頃の記憶はほとんど残っていないという。「あの体験が潜在的に、差別に対する正義感みたいなものへと私を駆り立てているんだと思います」

とはいえ時に、自分は偽善的なんじゃないかと思うこともあるという。「このテーマから逃げたいなと思うこともあります。それでもここに帰ってきてしまうのは…結局、私の考えが全部ここに紐づいているから。例えばショッピングに出かけても、素敵なトレンドアイテムにワクワクするよりは生産過程のことが気になってしまう」。そんななか、現在のimperfectは新しい視点を与えてくれたという。「名前の通り、完璧じゃなくていいよ、というメッセージなんです。不完全な取り組みでも、いろんな人が関心を持って取り組むきっかけになればいい、という発想は私にとって眼から鱗でした。社会貢献に対する新たな視点を得ることができました」

この先どんなビジョンを持っているのだろうか。「現在も細々ながらandu ametにも携わっていますし、これからもPRとサステナビリティの掛け合わせで、自分が惚れ込んだブランドや団体や人の魅力を伝えていきたい。チャンスがあった時、いつでもそこに飛び込めるように、PRパーソンとしてのスキルを磨き、一企業だけでなく日本が国として取り組んでいることなど広い視点でのサステナビリティを学び、サステナビリティに携わる人々との出会いを大切にしていきたいと思います」

 高校の授業で「ピープル・ツリー」の話を聞き、そのとき“素敵だな”と感じた心の小さなともしびを静かに守り続けた内藤さん。PRというもうひとつの軸を得て、この先も決して消えることなく、少しずつその光を広げ、つないでいくのだろう。


PROFILE
Hikari Naito●1990年埼玉県生まれ。父の仕事の関係で3歳〜7歳までをアメリカで過ごす。法政大学法学部法律学科卒。在学中、東ティモール支援のNPO活動に従事。大学卒業後は区役所で働く傍ら、エシカルブランド「andu amet」にプロボノとして参加。エシカル、サステナブルの取り組みをライフワークにすべく、公務員を退職。気候変動対策のコンサル会社、PR会社を経て、「トランスメディア」にて、サステナブルな食・農ブランド「imperfect」のPR事務局を担当。プライベートでは1児の母。

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