濁流
遠くで起きたニュースを安易にRTすることに、とても、抵抗がある。それがどんな出来事であったとしても、切り取られた部分だけでは真偽が掴めないし、確認する方法もない。
刺激的な投稿は幾らでもあるし、幾らでも閲覧できる環境になった。何度も何度も、繰り返し流れてくるものは、そのキャプションと映像が頭にこびりつき、浸透していく。それが世界のほんの一部で全てではないという前提を、はたして人というものは、覚えていられるのだろうか。
濁流のように激しさを伴って、流れや形を大衆の多く振り向く方に変え、凄惨さや憎悪だけが増幅していく。こんなことにならないと、人としての規範や、教えられた大切なことは思い出せないのだろうか。私も含め。
指先ひとつで誰かが作った何かを広めることができる時代には、目を瞑って考える時間も必要だと思う。身を任せるだけでは、流されていく先は選べない。
切り取られた一部が世界の全てではない。出会った幸せなこと、人に助けられたこと、忘れてはならないと思う。
2020.06.01.