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箱と個

「箱推し」「個推し」という概念があることをご存知だろうか。ここでいう「箱」は団体のことであり、「個」は個人を示唆している。

私の主たる趣味はバスケットボール観戦だ。そして「チーム」というよりは「個人」を応援しているもののひとりだ。

誰でも何かのまたは誰かのファンであって全てが肯定される、という大前提のもと、今日は「個推し」の話をしようと思う。

大々的にアンケートを取ったわけではないが、熱心に応援していることを何かで(SNSとか)で表現している人たちは、だいたい「推しチーム」がある。「箱推し」であり、プロフィール欄などに好きなチーム名が入っていることもしばしばだ。

そして、好きなチームに加えて、好きな選手として、何名かの個人名が入っているプロフィール欄もそこそこ見かける。好きなチームを応援しつつ、好きな選手も観に行ったり、対戦相手として歓迎したりもするのだろう。

私はといえばプロフィール欄は大したことが書いておらず、アイコンが好きな選手の後ろ姿だ(実はずっと後ろ姿と決めていて、前姿にしないのは、背中を追うことが多いことと、本人のアイコンが前姿だからだ)。ツイートを頻繁にしていた頃は主に好きな選手を観に行った時の観戦記録と、その年の所属チームの情報で占められていた。

私自身が「個推し」であることは、この単語自体を知る前から自覚はしていた。実はバスケットボール観戦の最初はチームを応援していたのだが、移籍したときにずっとこの選手について行こう、と思ったのだ。

その日から、私の「ホーム」は、その選手のいる場所、になった。所属したチームの本拠地が自宅から遠く離れていても、たとえそのチームを応援している人がほとんど見当たらないアウェイ会場であったとしても、私にとってはその選手が居る場所が常にホームだ。

前に書いたことがある。この出来事からずっと、応援している人はひとりである。後悔したことは、一度もない。SNSでは、応援していることも、アイコンを後ろ姿にさせてもらっていることも、本人が目にしていて、知られている。が、バスケットボール選手としてはもちろん、人間的にも素晴らしい方なので、拒否されたことがないばかりか、あたたかい言葉をファンサービスとして何度も頂戴した。ありがたいしかない。

なお、毎年、チームもチームメイトも、スタッフの方々のひとりひとりまで私は応援しているつもりだ。チームグッズも買うし、ファンクラブもあればなるべく上のランクに入った。選手のグッズは発売されれば揃えた。ベンチに座っていようとコートにいようと、常にチームを応援していたと思う。

そしてチームの目指すもの、つまり良いバスケットであったり、勝利を得るとき、好きな選手はいちばんの笑顔をしているので、私もそれを切に願っている。

過去には、所詮ひとりしか好きではないのだろう、と思われていることを感じる出来事もあったが、もうそれはそれで仕方ない、と割り切った。以前は全力でその時々の箱への愛情も語っていたが、私の住む場所にはバスケチーム自体がないこともあり、住んでもいないのに好きな選手のために観に来てチームごと応援している人もいることを、10ヶ月近くかけて信じてもらえるようになる頃にはシーズンが終わってしまうことに、少々疲れた。

あくまで趣味においての話ではあるが、誰かにとっての宝物がどこかにあるように、私にとっての宝物はひとつだ、というだけのことだ。

何も違わない、と思っている。

選手がどんなに入れ替わってもずっとひとつのチームに応援の気持ちを注ぐこと。来た選手をひとりひとり知っていくこと。

チームがどこになってもずっとひとりの選手に応援の気持ちを注ぐこと。訪れた場所のチームカルチャーを知っていくこと。

バスケットボール観戦が好きな人の、それぞれのかたちだ。

好きなものは複数あったほうがリスクヘッジになるという。精神の安寧にもいいらしい。きっと、好きなチームや好きな選手がたくさんあって、いろいろなところで楽しんだ方がいい、のかもしれない。その方が、それぞれが勝つところも活躍するところも、観られる可能性は増えるのかもしれない。

しかし。

そうできたら、とっくにそうしているのだ。私はたったひとりの人のバスケットボールをしている姿がいいのだ。

ひとりの人について行くと、そこに私は住んでいないから常に外から来た人だ。慣例となるマナーやルールも分からない。道も知らないし、会場も全て初めて行く場所だ。

また、観に行けた試合ではもちろん負けることもある。調子が悪いときもあるし、ファウルが嵩んで退場するときもある。作戦上活躍が期待できなさそうなときもあるし、怪我をして、またはチーム構成上、出場しないことさえある。出られなかった試合でも、行けたら私は声を枯らして応援した。勝って欲しかったからだ。チームの勝利は、その選手が強く欲しているものだからだ。

私は、その選手のバスケットボールでなければダメだ。もはや自分でその道を選んだから、というより、年数を重ねれば重ねるほど、いいときもそうでないときも全力で頑張る姿に、辛く苦しいときほど努力を怠らないその姿勢に、敗色が濃厚でも決して諦めない瞳の光に、もちろん勝った時の溢れんばかりの笑顔に、活躍したときの賢さと頼もしさに、コンディションの良いときのその瑞々しい身体の躍動感に、彼のそういう全ての素晴らしさに、虜になっているだけだ。

ずっと応援しているチームから、一番好きな選手が出て行くことはありえない話ではない。そのとき、選手に別れを告げて健闘を祈りながら、そのままチームにファンとして残ることが多いのかもしれない。

個推しだと表明している人はいないわけではないが、多くはないだろう。遠征費もばかにならないし、家の近くで試合がない年もある。ただ、ずっとついて行くこと、その選手の毎年の姿が観られること、変化や進化が観られることも、とても楽しく、幸せなことだよ、と私は思っている。


2020.06.06.