二十四才一般男性の音楽変遷
この鬱屈とした気持ちを自宅に持ち込みたくなくて、会社から自宅まで遠回りして帰る。こういう日は、いやこういう日でなくとも、何はともあれ音楽を聴くに限る。30分ほどドライブして気持ちが晴れた頃に、ふいにTHE HIGH-LOWSの「十四才」の歌詞が頭をよぎる。
もう15年以上聴いてない曲の歌詞を覚えている事に驚いたし、何より大人になって気付くこの歌詞の強さと温かさにひどく感動してしまった。十四歳になった僕は嬉々として家路についた。
それでふと、音楽変遷でも書いてみようと思った。何か新しい発見があるかもしれないし、何もないかもしれない。暇つぶしがてら読んでもらえたら幸いだ。
0歳(1998)
爆誕。胎児の頃から音楽は聴かされていたらしい。まだ見ぬ自分の子供も音楽好きになってくれると心底嬉しい。英才教育は必須だな。
3歳?(2001?)
THE BLUE HEARTSのライブ映像が流れるブラウン管の前で、ほうきか何かをスタンドマイク代わりにして熱唱する僕のホームビデオをなんとなく覚えている。その動画を思い出すと情熱というかなんというか、恥ずかしい言葉を使うとロックンロールのようなものを感じる、好きな思い出の1つだ。
~10歳頃(~2008)
幼少期にカーステレオから流れていた曲は大きな影響を与えると言うが、本当にその通りだ。今思うと父親の音楽センスは年を食っても衰えていなかったように感じる。ブルーハーツやユニコーン、斉藤和義などの父が若い頃好きだったアーティストはもちろんだが、木村カエラやKREVA、東京事変など当時の流行りのイケてる音楽もよく流れていた。カーステレオから流れる音楽がほぼすべてだった僕はもれなくそれらを聴いていたし、今でも好きだ。
11歳(2010)
このあたりから自分、周りの友達発信で音楽を知る。GReeeeNやいきものがかりをよく聴いていた。ただ男性アイドルのようなものへの抵抗感は異常に強く、小学校の卒業式でEXILEの『道』を合唱する事になって友達と大ブーイングしたのは覚えている。まぁ今歌えと言われても同じ行動をとるかもしれない。
12歳(2011)
ここで僕の音楽趣味に大きな転換期がくる。色紙に好きな言葉を習字で書き、絵の具などで色付けをしようみたいな美術の授業があった。そこで、廊下に飾られた好きな子の色紙に「誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろ」と書いてあった。なんだそれはと。鼻垂れたケツの青い僕にはお洒落すぎてよく分からなかったが、そんな言葉を書いている女の子がえらく大人に見えた。声をかける度胸などもちろん無い僕は、作品解説の紙から「RADWIMPS」「有心論」という文字列を発見し、『有心論』の収録されたアルバム『おかずのごはん』をレンタルし聴きまくった。そこから過去のアルバムを一通り聴き漁り、当時の新EP『シュプレヒコール』は人生で初めて買ったCDになる。
メディア露出を控えているという姿勢に痛く感激し、あまり人が知らないもの、いわゆるサブカルチャー的なものが今でも好きになってしまうのは、RADWIMPSの影響が大きい。そんな僕に多大な影響を与えた女の子とは結局一言くらいしか喋ってないし、どこの高校に進んだかも忘れてしまった。
13歳(2012)
RADWIMPSと好きな子の事で脳みそお花畑の僕のみぞおちへ強烈な膝蹴りが飛んでくるのがこの時期だ。「マキシマムザホルモンかっこいいよ」。そう言った友達に渡されたアルバムのジャケットは真っ黒の背景で金髪の怖い兄ちゃんが舌を出し、指できつねみたいなポーズを作って両手を重ねている。家に帰ってイヤフォンを手に取り曲を聴くと、その衝撃はジャケットを優に超えた。今まで聴いたどの音楽とも違う、音の暴力のようなものに気圧され、でもなぜか心地よくてまた聴きたくなる不思議な感覚だった。
それからその友達からホルモンの情報を仕入れ、ふざけてデスボイスの真似などをしているさなかに問題作『小さな君の手』のMVが公開される。公式サイトからファ〇モン風の甘ったるい曲が流れてきた時の、数年ぶりの新曲を待望にしていたファンたちの阿鼻叫喚は今でも覚えている。そんなPVがアップされて1,2週間ほどして再度1本の動画があげられる。前述した甘ったるい曲のPVが流れ「またこれか」と思っていると、そのPVの映されたテレビがズームアウトしていき、その足元のテレビにボーカルの亮君が白目でゲロを垂らす。そっから歪んだギターリフが始まり曲へとつながる。目まぐるしく変わる曲調とサイケなPVに瞬きが出来なかった。
こんな無茶苦茶やってる大人を好きにならない方がおかしい。今でこそ聴く頻度は減ってしまったが、アルバム『ぶっ生き返す』は当時iTunes上で再生回数400回を超えていた気がする。
14歳(2013)
iTunesから、SALUの『in my pool』という楽曲が期間限定で無料ダウンロード出来るというメールが来た。当時の僕にとってラップはヤンキーが聴くAK-69がすべてで、友達に合わせて聴いていたもののハマってはいなかった。そんな時にSALUを聴いて、こんなお洒落な雰囲気にもなるのかと感銘を受けた。大人になって知ったが僕だけでなく当時のHIPHOPリスナーもその衝撃は同様だったようで、いわゆるギャングスタ的なセックスマネードラッグがHIPHOPだという風潮の中あらわれたSALU、AKLO、tofubeatsのような存在が新たな風を吹かせて、今の日本のジャンルに縛られないHIPHOPシーンを作ったように感じる。
このペースでいくと広辞苑出来てしまうな。まだ閃光ライオットの事もマスオナイトの事も初めてのライブの事も書けていない。まだクラスに馴染めていない高校1年の昼休みにクリープハイプの『死ぬまで一生愛されていると思っていたよ』を放送で流したら、クラスメイトから歌声が大不評で流したの僕だと名乗れなかった話とかもっとしたいのにな。とにかく僕はずっと音楽が好きだと言うことを改めて知れて良かった。
あなたには十四才になれる曲があるだろうか。
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