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開けられなかった銀の箱

もうすぐクリスマス、ということで、クリスマスに因んだお話を。
数年前、初台の画廊喫茶Zaroffで三人展「心臓は屋根裏部屋の箱の中」を開催しました。
その際にプレイベントと会期中イベントの2回、パフォーマンスをやることになり、プレイベントで「Drei Kisten ~箱に纏わる三つの掌編~」と題したクリスマス・お正月・バレンタインに因んだ3つのお話を、会期中イベントでそのうちバレンタインのお話の完全版である「ラヴェリアのハート」というお話を、芝居仕立てで上演することにしました。

開けられなかった銀の箱」は「Drei Kisten ~箱に纏わる三つの掌編~」の1編目、クリスマスに因んだお話になります。
画像は上演時のものです。
コメントにてご感想など頂けると嬉しいです。ご感想以外でもどうぞ♪

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ダナは小さな家々がぎっしり集まった、町でも一番貧しい区画に、家族と一緒に住んでいました。
ダナには両親と祖母、兄が2人、乳飲み子の妹がおりました。
父親は掃除夫でしたが、懸命に働いても僅かな稼ぎにしかならず、最近では二人の兄も父親と一緒に働き、母親も繕い物や、仕立て屋の下請けなどを引き受けて家計を助けておりました。
ダナも学校にも行かず、母親の手伝いをして赤ん坊のお守りをしたり、お使いに行ったり、朝早くから働いてくたくたになって帰って来る父親と二人の兄の食事の仕度をしたりと、皆貧しいながらも助け合って暮らしておりました。
けれどもそんな食べてゆくのがやっとという生活でしたので、ダナの持ち物といったら一枚のワンピース、上着と少しの肌着、一足の靴、空き家で見つけた腕が片方取れてしまった粗末なお人形、ボタンや指貫などこまごましたがらくたの入った布袋、これだけでした。
時々、父親や兄たちが仕事先の家からお菓子をもらってきてくれることがありましたが、そんな時、ダナはお菓子を布袋にしまい、一日一回取り出しては、大事に少しずつ食べるのでした。

ある年の冬、クリスマスが近付き、道行く人々の足取りもどことなくせわしげな季節のことです。
町の中央の広場には大きなツリーが飾られ、店々のショーウィンドーもきらびやかに飾りつけられておりました。
ダナは母親に頼まれ、町外れの家まで繕い物を届けにゆくことになりました。
雲が灰色に垂れ込めたとても寒い日で、兄のお下がりのぶかぶかの上着しか持っていないダナは、両手をこすり合わせながら人々の間を通り抜けて、町の大通りを小走りに走ってゆきました。
町外れの家では、奥さんが繕い物を受け取ると、ダナに暖かいミルクをご馳走してくれました。
無事お使いをすませることができてほっとし、暖かいミルクのおかげで身体も暖まったダナは、帰る道すがら、来る時には気付かなかった町の賑わいにも目を向ける余裕が出てきました。
店々のショーウインドウに飾られている品々は、ダナには到底手の届かないものでしたが、眺めているだけでうっとりとした気分になり、ダナはすぐに家に帰るのが勿体ないような気がしてきました。
町の中央に面した教会にはプレセピオという、キリストの生誕の場面を形取った人形が飾られ、お祝いに駆けつけた羊飼いたちや三人の博士たちの人形が、教会番の少年の手で毎日少しずつ、キリストの方へと動かされていました。
毎年子供たちはそれを楽しみにしているのでしたが、家の手伝いで忙しくて今年はまだ見ていなかったのを思い出し、ダナは教会の重い木の扉を押して薄暗い聖堂の中へと入ってゆきました。

暮れかけた淡い光がステンドグラス越しに差し込む聖堂の、幼な子イエスの人形が飼い葉桶の中で眠っている馬小屋の前には、一人の先客がおりました。
それは黒い帽子を目深に被った、年齢も性別も見分け難い、一人の人物でした。
その人が着ているのは修道僧のような暗い色のローブでしたが、変わった形の帽子とそこからはみ出す栗色の巻き毛で、修道僧ではないことが分かりました。
顔は帽子の影で異様に暗く、ただ光る眼ばかりがダナの視線を引き寄せ、その人から離れられなくさせました。
その異様さにもかかわらず、怖いという気持ちが起こらないのも、考えてみれば不思議なことでした。
イエス様の人形を見ることも忘れ、ダナはその人の前で固まってしまったかのように立ち尽くしていました。

「これをあげましょう」

沈黙を破ったのはその人でした。

「君はとてもいい子だから、イエス様からのプレゼントですよ」

その人の声には独特の深い響きがありました。
そしてその外見と同じように、声もまた、年齢も性別も判断しがたいものでした。
その人が差し出す手に目を落とすと、そこには銀に精巧な細工を施された、美しい小箱がありました。
それはダナが今まで見たどんな素敵なものよりも、ダナの心を強く動かしました。
ダナはためらい、その人を見上げました。
どうしていいのか、良く分かりませんでした。
いつもダナが他人から与えられるものは、プレゼントとは呼べないようなささやかなものばかりでしたが、それすらダナにとっては過大な恩恵と感じられ、相手の気が変わらないかとびくびくしながら受け取ってきたものでした。
でもこの時ダナの心にあったのは、相手がそれを引っ込めるのではないかという懸念ではなく、むしろあまりに美しく貴重なものを、不釣合いなみすぼらしい自分が手にすることに対する、畏れに似たな感情でした。
奇妙な相手は、ダナの心の内を見透かしたのように言いました。

「これはきっと役に立ちますよ。困ったことがあったら開けてごらんなさい。きっと君に必要な物が見つかるでしょう」

ダナは信じられない気持ちでいっぱいでした。
でもその人はダナが箱を手に取るまでは、そこを動きそうにもありませんでした。
それでダナは、半ば義務感に駆られて、その箱を受け取ったのです。
その人はにっこり笑い、

「良いクリスマスを」

と言うと、滑るような足取りで聖堂から姿を消しました。

一人残されたダナはしばし呆然としておりました。
一体、今あったのは現実のことだったのかしら?
しかし夢ではなかった証拠に、ダナの手には銀色の小箱が鈍い輝きを放っておりました。
我に返ってダナは飛び上がりました。
大変、これを返さなくちゃ!
ダナは急いで聖堂の外へ飛び出してゆきました。
けれど先ほどの人物は、もう影も形もありませんでした。
ダナはしばらく行ったり来たりしてみましたが、諦めて家への道を辿り始めました。
それにしても、なんて困ったことになってしまったのでしょう!
ダナは今までに人のものを取ったことは、一度だってありませんでした。
けれどもダナの家族が、この箱を知らない人にもらったなんて話を信じてくれるとは、とても思えません。
でも、もし信じてくれたとしても、小さな女の子には贅沢すぎると、箱を取り上げられてしまうのではないでしょうか。
ダナがこんなに困惑したことは、生まれて初めてでした。
いっそのことどこかのベンチにでも置き去りにしてしまおうか?
でもその箱はあまりにも美しかったので、自らそれを手放すなんて、ダナにはとてもできない相談でした。
ましてやごみのように捨ててしまうだなんて!
そうしてダナの心にいろいろな案が浮かんでは消え、家に帰り着く頃になってようやく、「この箱のことは誰にも言わずに胸に秘めておこう」という決心が付いたのでした。

問題はどこに隠すかでした。
狭い家の中で、家族に気付かれずにすむ所は、まずないと言って良さそうです。
悩んだ挙句、ダナは隠し場所を、丘へ登る途中の横道に入って少し行った所にある、聖アグネスを祀ってある祠の中にしました。
そこはほとんど人も通らず、町の人からも忘れ去られた場所で、人に見つかる心配はなさそうに思われたのです。
それからというもの、ダナは辛いことや苦しいことがある度に箱の隠し場所へ行き、聖アグネスにお祈りしてから、大切な宝物である銀の小箱を、聖アグネスの像の後ろから取り出しては、いつまでも飽きずに眺めました。
しかし、どうしても箱を開ける気にはなれませんでした。
非常な困難に直面した時など、「きっと君に必要なものが見つかるでしょう」というあの不思議な人物の言葉を思い出し、箱を開けてしまおうかと、祠までやってきたことも何度かありました。
でも箱を見ていると何だか力が湧いてきて、「自分で何とかできるわ」と、箱を聖アグネスの像の後ろに戻すと、来た時とは見違えるような足取りで家へと戻ってゆくのでした。

こうして何年かが過ぎました。
ダナはすっかり成長し、母親に代わって家事を取り仕切るようになりました。
家は相変わらず貧しく、生活も安定しているとは言い難いものでしたが、あの箱が開けられることはないままでした。
ダナにとってあの箱は、自分に力を与えてくれる幸運のお守りであると同時に、心を惑わす魔力を持つ呪物でもあり、それを誰にも言わずに隠し持っていることで、ダナは苦しんでもきたのでした。

ある年のクリスマス・イブのことです。
しばらく前から風邪をこじらせて寝込んでいたダナの母親の容態が夜半から悪化し、不安になったダナはいても立ってもいられずに、夜が開けるが早いか聖アグネスの祠にやってきました。
ダナは聖アグネスの像の後ろから、銀色に輝く小箱を取り出して見つめました。
今こそこの箱を開ける時が来たのかもしれない。
ダナは箱を上着のポケットに入れ、来た道を戻り始めました。
ダナが家々が立ち並ぶ狭い通りに差しかかった頃です。
突然、路地から一人の男が飛び出してきました。
その男の手には鋭いナイフが握られていました。
あっ、と叫んで立ちすくんだダナの口を素早く片手で押さえると、押し殺した声で男は

「金はあるか」

と言いました。
ダナがポケットから銀色の小箱を取り出すと、男はそれを引ったくるや否や、あっという間に走り去りました。
恐怖と安堵で、ダナはしばらくそこを動けませんでした。
ようやく人心地を取り戻したダナは、それでもいくらか怯えつつ歩き出しました。
町の中央の広場に差しかかると、何やら人だかりがしています。
覗き込むと、何とそこには、馬車に轢かれて見るも無残な姿になった、先程の男が倒れておりました。
すぐに警官が来て、男の体を調べ始めました。
男は最近この界隈を騒がせていた、泥棒でした。
男が町の人々から盗んだ札入れや指輪などが、血濡れの外套やズボンのポケットから、次々と見つかりました。
しかし不思議なことに、ダナから奪ったあの銀の小箱は、どこにも見当たらなかったのです。

ダナの母親は、その後小康状態を取り戻しました。
二人の兄にもやがて良い働き口が見つかり、父親は家で母親の看病をしながら過ごすようになりました。
ダナは時々、あの小箱のことを思い出します。
開けて見なかったことを少しは残念にも思います。
でもやっぱり、あれは私の元を離れて良かったんだわ。
ダナはそう一人ごちました。
暖炉の傍らで手をあぶっていた幼い妹が、ふと振り返ってダナに尋ねました。

「ねえ、天使ってほんとにいるの?」

ダナは微笑んで答えました。

「いるわよ。だって私、会ったことあるもの。何年にも前にね」

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