[夢幻小説]中庭の少女
教室は、いつものように賑わっている。
わたしはひっそりと、自分の席についた。
寝不足の目には、窓から差し込む朝の日差しは眩し過ぎる。
みんな、高校生活を楽しんでるのかな。
ふと、そんなことが気になった。
いつも通りの教室なのに、わたしのまわりだけが異次元に落ち込んだみたいだ。
「莉那!」
声を掛けてきたのは、友達の雫。
「どした、テンション低くない?」
「いやーまた曲作ってて夜更かししちゃって。2時間半しか寝てない」
「そんなことだろうと思った」
そこへ、担任が入ってきた。
「はいみんな着席ー。熱測ってきたか?
今日は授業が午前中だけだからって、帰り寄り道するなよ。もうすぐ期末テストもあるんだからな」
コロナとかいうインフルエンザの変種?が流行りだしたお陰で、学校も臨時休校があったりと、なかなか落ち着かない。
でもうちの学校は自由を尊重する校風だけあって、皆あまり気にする様子もなく、普段と変わらずに過ごしている。
ショートホームルームが終わり、授業が始まる前に、わたしは教室を抜け出した。
どうにも気分が悪くて、耐えられなくなったのだ。
さっきまでは、ちょっと頭がふわふわしているくらいだったのに。
胸がムカムカし、脂汗が滲み出て、顔から急激に血の気が引いていくのが分かった。
これは、ヤバい。
授業中に倒れかねない。
睡眠不足が原因なのは確かなので、あまり大ごとにはしたくない。
幸い、先生が来るまでの間存分に騒いでおこうというクラスメイトたちの誰も、出ていくわたしを見とがめることはなかった。
ひんやりとした廊下には、もちろん誰も歩いていない。
先生に見つかったら厄介だな、とわたしは、フロアの端にある印刷室に入り込んだ。
コピー機の陰に隠れるように、壁際に座り込む。
「保健室、行った方がいいかなあ」
だが、わたしが音楽活動をしていることは、クラスの皆が知っているのだ。
学業に支障を来たすと思われたら、やりにくくなることは間違いない。
しばらく休んでいたら、少し気分が落ち着いてきた。
もうちょっと休めば授業に戻れそう。
その時。
誰かが印刷室に入ってきた。
その誰かは私には気付かず、コピー機の操作をし始めた。
このまま隠れてても大丈夫かな?
なんて思ったけど、そううまくはいかなかった。
「あらっ?」
美術の杉本先生だ。
若い女性の先生で、気さくで話しやすいと生徒たちから人気がある。
「どうしたの?大丈夫?」
心配そうな、声。
それはそうだろう。
見るからに体調が悪そうな上、授業中に印刷室なんかでさぼっているんだから。
「いえ、先生に頼まれてプリントのコピーしに来たんですが、急にお腹が痛くなっちゃって。もう大丈夫です」
コピーしに来たにしては原稿も持っていないのでバレバレかと思ったけど、杉本先生は安心したのかそこまで気付かないようだった。
わたしは話をそらそうと、先生に話しかけた。
「わあ、綺麗な絵。その本、なんですか?」
「これね!17世紀の稀覯本でね」
「17世紀?!」
「当時の少女たちの風俗を紹介した本なの」
17世紀の本なんて、普通の人の手に入るのかしら。
先生がコピー機から取り出したその本は、確かにすごく古びていた。
ドイツ語だろうか?
太い飾り文字が、仰々しく表紙に並んでいる。
一目見て、私はその本に強く惹きつけられた。
「私ね、この3月で転任するのよ。だから、ここの図書館にあるこの本とも、お別れなの」
うちの図書館に、そんな珍しい本が収蔵されているなんて。
「本当は持っていきたいけど、いくらなんでも泥棒する訳にはいかないもんね」
先生は笑いながら、そんなことを言った。
「そう、なんですね。……その本、私でも借りられるんですか?」
「そうねえ、本当は持ち出し禁止だけど、館内で見る分には大丈夫なんじゃないかな。
今日は、河名先生にどうしてもって頼みこんで、借りてきたのよ」
司書の河名先生は、文学青年がそのまま年を取ったような、細面の繊細そうな男の先生だ。
明日にでも、見せてもらえるか聞きに行こう。
そう思いながら図書室のある、中庭を挟んで向かいの棟に目をやった。
まだ2月とはいえ、今日は日差しが春めいて暖かい。
窓越しに見える中庭は、コンクリートの校舎に囲まれている。
その切り取られた青く澄んだ空が、高く高く見えた。
ふと、違和感を感じて、目を凝らす。
中庭には何本かの木が植えられ、花壇や東屋があり、ベンチが並んでいる。
天気の良い日には、昼休みにお昼を食べたり、休憩時間に友達とおしゃべりをしたり遊んだりする生徒も多かった。
そんな東屋のひとつに、小さな影があった。
「えっ?」
わたしの視線につられて窓の外を見た杉本先生も、驚いた声をあげた。
子供だ。
それも、小さな女の子。
がりがりに痩せている。
髪の色は砂色で、簡素な形の白っぽいワンピースを身に着けている。
どう考えても、その辺にいる子供ではない。
というか、人間ではない……?
ごく自然に、その考えが頭に浮かんだ。
じゃあ何なんだ。
幽霊?
といっても、別に怖いという気持ちにはならない。
昼間だとこんなもんなのかな。
杉本先生も、怪訝そうな顔ながら、別に怖がっている様子はない。
俯き加減だったその子が、顔を上げた。
その瞬間、心臓が飛び出しそうになった。
目があるべきところに、黒い穴が開いている。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
パニクっていたせいで、逆に声を挙げる余裕もなかった。
近くで、ものがぶつかる大きな音がした。
視界の端で、杉本先生が床に倒れているのを認める。
―頼みの綱の先生が気を失ったら、わたしが助けを呼ばなきゃいけないじゃない!
心の中で先生に突っ込みながら、変に冷静な自分に呆れた。
ちょっと先生の方に気を取られたものの、すぐに中庭の異形な人影に注意を戻す。
が、先ほどの影はもう、跡形もなかった。
意識を反らしたのは、ほんの一瞬のことだったのに……。
次の瞬間。
今度は、心臓を鷲掴みされるような恐怖に襲われることになった。
目の前の空中に唐突に、真っ黒な穴の二つ空いた、青ざめた顔が現れた!!!
薄れてゆく意識の中、頭に幼い女の子の声が響いた。
漫画とかでよくある、あなたの心に直接呼びかけています、ってやつだこれ。
「×××××××」
理解できない言葉なのに、なぜかお礼を言われているのが分かった。
わたしの意識は、そのまま混沌へと飲み込まれていった。
******
「私も、聞いたわ。聞いたって言い方が相応しいか分からないけど」
杉本先生は、ドイツ語の分厚い辞書を手に、こちらに顔を向けた。
放課後の図書館。
先生方の忠告もあり、残っている生徒はほとんどいない。
「どうやら、この本の最後の方にある、張り合わされたページの間には、標本が挟み込まれているみたいですね。
一部分だけ、剥がれたところがありました」
虫眼鏡を手に、例の稀覯書を調べていた河名先生が、顔を上げて言った。
「標本?」
「そう、標本。当時使われていた服の布地だとか、自生していた植物だとか。
あとは、人体の一部」
杉本先生は、息を呑んだ。
「あの子、本に閉じ込められてたんだわ」
外に出ることができて、嬉しかったんだ。
そうでもなければ、わたしたちにお礼を言う理由が思いつかない。
「河名先生。この本、どうされます?」
「しかるべき博物館や研究施設にでも、寄付するのが本当なのかもしれませんけど」
「もう少し手元に置いておきたいですよね?!」
「……そうしたいです」
先生たちのやり取りを背に、わたしは図書室の窓を開けた。
知らない時代の知らない空の下で、あの子は、どんな生活をしてたんだろう。
そして、どうやって死んだんだろう。
あの子ともしまた会うことがあれば、今度は怖がったりしない。
帰ったらあの子のための曲を作ろう。
夢を元にした「夢幻小説」です。
といっても、夢を書き起こすだけではお話にならなかったので、大部分が創作です。
実際に覚えている夢の内容は「教室を出て職員室に行ったら、17世紀の少女の風俗を描いた本を、先生がコピーしていて、そこに私がいないので同級生が探しに来た」というくらい。
ついでに、「透明な夜、君を迎えに」の莉那ちゃんのスピンオフ作品にしてしまいました。
本編の方もリクエストがありましたので、そのうちに続きを書こうと思います。
画像:鳩山会館
サポートして頂けたら、アーティストの支援に使わせて頂きます。 貴方の生活の片隅にも、アート作品をどうぞ。潤いと癒しを与えてくれます。