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丸の内・有楽町の街を作ってきた三菱地所・廣野研一さんが語る有楽町の豊かさとは

ニッポン放送で40年近くラジオに携わってきた上柳昌彦アナウンサーが、東京・有楽町に関わる様々な人をゲストに迎え、有楽町の魅力やそこで生きる人の思いを聞くポッドキャスト番組「有楽町ひとさんぽ」。

今回のゲストは、三菱地所株式会社プロジェクト開発部の理事・廣野研一さん。四半世紀に渡り有楽町を見守り、有楽町を作ってきた廣野さん。そんな廣野さんのお人柄と街づくりの背景についてお伺いします。

カジュアルな文化も積極的に取り入れる三菱地所

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三菱地所の方がこのコーナーにお見えになるのは二人目なのですが、皆さんラフな感じでいらっしゃいますね。

僕が入社した頃の三菱地所は石橋を叩いても渡らないと言われるいうくらい慎重だったんですが、今は変革期なんだと思います。会社自体が非常に若くなって、色んなことにチャレンジしていくという発想になってます。なので最近は文化を積極的に取り入れて、洋服についても基本的にはネクタイ・ジャケットは着用しない、一年中クールビズを採用してます。

ニッポン放送の檜原社長とお友達ということですが…

彼女とは飲み友達で、非常に仲良くさせていただいております。会うと他愛もない話もしますが、お互いに熱くなると丸の内を一つの舞台にした『街づくりのあり方』とか話します。彼女からは『これからの放送業界のあり方・ラジオのあり方』そういう真面目な話をすることが2割くらいかな。後の8割はくだらない話をしています(笑)

実は学生時代からDJ?

趣味で音楽をかけるDJもやられるということですが

お恥ずかしながら学生時代からDJをやっていまして、その頃はアナログですが今はCDJを使ってやっています。そして非常に仲の良い友達が丸の内でBARをやっておりまして、そこで『AC/BC Nidht』(ADULT CONTEMPORARY&BLACK CONTEMPORARY NIGHT)というイベントを年に3.4回やるんですけれども、僕がBCの担当ということでで時々やらせてもらってます。

その素敵な雰囲気から言いますと、楽しい学生時代を過ごされたんですかね

(笑)まあ当時は「なんとなく、クリスタル」という本が売れて、おニャン子クラブが出てきたりとか、オールナイトフジの女子大生ブームがあったり、丘サーファーが流行っていたりとか大学生が一番明るかった時代に大学生だったので、楽しかったですね。

丸の内のイメージを変えた街づくり

丸の内の街はどのような変遷を辿っていったのでしょうか

昔の丸の内のアフター5は人気がなくなって、僕が今でも印象に残っているのがゴールデンウィークの時期になるとだいたい新聞が丸の内の仲通りを取り上げて、そこに痩せ細った犬が一匹歩いていて【誰もいない丸の内】という記事になるくらい土日祝日やアフター5が閑散としているイメージがありましたよね。
その中でバブル崩壊直前くらいから街づくりプロジェクトに一端に私も携わらせていただきまして。”ガイドラインを作って共有化していく”っていうことをやりました。丸の内の将来像はこうあるべきだっていうのを概ね25年先を見越して書いていったんですね。
その当時の仲通りはバンカーストリートで午後3時になるとシャッターは閉ま閉鎖的だったんですが、「仲通りは動脈だ」として、人がたくさんそこを歩くこと、回遊することによって街の顔色が良くなるようにと、仲通りを街づくりの重要な軸にしたんですね。

具体的にはどんを取ったんですか?

歩道を両サイド1mずつ拡幅をして、ベーブメント(舗装)も真っ黒なアスファルトからアルゼンチンハンガーにして温かみのある雰囲気に、そして並木も元々は百合の木を剪定して電信柱みたいになっていたんですけれども、それを楓とか欅で樹形の綺麗なものにして伸ばし放題にしました。
夏になると緑陰ができて非常に良い緑のトンネルになったりしますね。あとは拡幅した歩道にはベンチなんかを置いてやはり人が滞留できるようにして、すごいスピードで歩くビジネスマンの中に混在して座ってゆっくり街を眺める人達とかベビーカーを押していくママさんとか利用者の目線に立って街づくりを進めていくというところに我々は注力してましたね。

熱狂と横のつながりを生んだ「丸の内女性合唱団」

印象に残っている街づくりプロジェクトはありますか

一時期、文科省と文化庁が建て替えのために丸の内に引っ越してきたことがあったんですね。
せっかく引っ越してきたんだからということで当時の河合文化庁長官がうちの社長(当時)の福澤武氏(福澤諭吉のひ孫)が一緒に記者会見を開きました。「丸の内から文化力」というプロジェクトを立ち上げたんですね。
その時に三菱地所は場所を貸し出して、コンテンツは文化庁が持ってくる。
一年間やっていく中で「場所を貸すだけじゃなんか面白くないよね」っということで、ちょうど1周年の時になにかやろうということで思いついたのが「丸の内女性合唱団」。
丸の内OLの人達が集まって、年末の12月31日の大晦日に丸ビルの中で合唱しようという企画を夏頃立てて、PRしました。最初は50〜60人くらい集まるといいなと思っていたんですが、300人弱の人達が集まって、ドイツ語の勉強とか歌い方のレッスンとかを芸大の先生を呼んで行いました。それは印象に残ってますね。

面白いプロジェクトですね

結局、初年度の年末には210人くらいの人達が歌ったんです。彼女達はそれぞれソプラノとかアルトとかに分かれる中で、それぞれが仕事の合間やお昼休みに皇居前で練習したり、あるいは仕事が終わった後に皆集まって飲んだりとか、そういうサークル活動的な横断的になものがなかったので、彼女達に横のつながりが出来ていきましたね。
本当はこのプロジェクトは一年目で終わりにしようと思っていたのですが、一年目の本番終わって、打ち上げ会を丸ビルの中で行いまして、そこで私がご挨拶をさせていただく時に「この活動はこれでおしまい」と言おうと思ったら、挨拶する前に女性達が僕のもとに来て「この素晴らしい活動を私たちだけじゃなく他のOL達にも広めていってほしい」と涙ながらに訴えて来られました。
なので挨拶の時に独断で「この素晴らしい活動を続けたいと思います」と思わず言っちゃいまして(笑)それが男性も入れた混声合唱団になっていき、どんどん成長していって、結果として16年間続いているこの街の大きなオーケストラになっていきました。文化庁の方々も非常に喜んでいただいて、文化庁が丸の内に引っ越してきた一つのエポックとして色んなところで紹介していただいたりしました。

有楽町を作ってきた廣野さんが語る、有楽町の豊かさ

まず有楽町は実際に働いてみると非常に働きやすく交通至便な場所、こういう先輩達から引き継がれたインフラは守っていかなければならないなと感じています。
そんなフルスペックな街を「7分の5」しか活用できていなかった。すなわち一週間のうち平日だけしか活用されなかったわけです。
それでは先代に申し訳ないという思いもありまして、土日も開かれた世界で最もインタラクションが活発な「7分の7」の街にしていこうというのが大きなベーシックなんです。
元々上屋敷で政治の中枢、経済の中枢、常に日本の顔である有楽町・丸の内でありながら、土日もアフター5も楽しめるような街。やはりそれが有楽町の豊かさかと思います。

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全編はポッドキャスト「有楽町ひとさんぽ」で公開中。今回は三菱地所株式会社プロジェクト開発部の理事・廣野研一さんが出演。「有楽町ひとさんぽ」はポッドキャストで聴くことができます。全編無料です。​

「有楽町ひとさんぽ」は、有楽町の街の新しいテーマソングを公募するプロジェクト「有楽町うたつくり計画」と連動した超ローカルポッドキャスト番組です。有楽町で働く方、生きる方をゲストに迎え、街の魅力や歴史、展望などを伺っていきます。

<有楽町ひとさんぽ>
毎週月曜日、最新エピソード配信予定。
「有楽町うたつくり計画」公式サイトほかポッドキャストで聴取できます。

<有楽町うたつくり計画>
有楽町の街の新しいテーマソングを創り上げる楽曲募集企画。
一次審査通過者は、音楽プロデューサー・本間昭光さんとのワークショップを通して、楽曲をブラッシュアップし、有楽町の”まちうた”をつくりあげていきます。詳細は公式サイトをご覧ください。
公式サイト:https://www.1242.com/project/yurakucho


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