私のライフワークのひとつに、場の主催というのがあるのですが…
それはエンターテインメント的でありつつ、「行」かもと思うことがあります。
「自己観察」なんていうのも、ある意味「行」です。
世の中にはたくさんの「行(ぎょう)」と呼ばれるものが。
「滝行」「護摩行」「座禅」・・・
「結婚」なんていう人も。
「里の行」
これがいちばんキツイと感じると最近はよく聞きます。
中でもキツイこと。
それが「自分と向き合うこと」「自分と場を観ること」ではないかと感じています。
それがあまりに観えたとき
さらにはそのクライマックスで
いちばん逃げたくなるからです。
自分から。
そのクライマックスは
「変化する」手前。
だと…この6年で、何千回も思いました。
実体験
この6年間
何千人という人に出会いました。
主催する講座参加者さんや
海洋温熱の養成講座の受講生さん。
反応は以下のような感じが多いように感じました。
一回参加して「わかった」「おもしろかった」でおわり。
メカニズムを知っても行動までいたらず。
少しとり組んでみるもののすぐにあきらめる。
しばらくとり組むものの淡々との行動に飽きてしまう。
あるときプライドが暴走して投げ出す。
行動特性が変化する前にホントの変化へ向かう行動はなかなか続かないのが人間のようです。
でも…そんな中、あきらめずに自分と向き合いつづける人がいて、あるとき変化が訪れます。
そこに立ち会えたときは出産に立ち会ったような感じで胸が熱くなります。
不思議ですが…その変化は外からみていてもハッキリとわかります。
それでそう簡単に安心とはならなくても…
行動特性が変わってくると、ちょっとやそっとではあきらめなくなります。
メンタルにも引っ張られにくくなります。
ゴールがないことも、全てが通過点であることもなんとなくわかってきます。
変化の前の峠越え
私も何度かそのときは訪れました。
そのとき…
なんとなくこうしました。
自分とだけ向き合う。
誰かに相談しない。
その峠越えは何度も訪れました。
越えれば同じパターンの峠はありませんが、中途半端で逃げれば何度も同じような峠がやってきました。
逃げない腹づもり。
いくつめの峠だったのかわかりませんが…
苦しみから逃げる苦しみに気づいたときがありました。
その手前の峠のキツかったことを思い出します。
峠というよりは、底の見えない谷といった感じでした。
痛みを背負ったまま生きる腹づもりをしたのがその峠越えの直後でした。
不思議なのですが、それ以来少し軽くなりました。
このことを聞いたとしても
個人的なことだったので参考にはならないかもしれませんし…
何の慰めにもなりませんが…
逃げつづけるならば同じところを停滞スパイラルする覚悟は必要かもしれません。
海洋温熱というセラピーの本質
あまり軽々しくこのことに触れることはないのですが、
それは…
海洋温熱士の進化過程の厳しさは、
熱さや、技術鍛錬や、安全衛生管理や、接客以上に、
この「自分と向き合う」というところにあって、
それをすることが、ダイレクトに施術に生きるセラピーだという、
肝の部分があるということです。
なんのことだか…
な感じかもしれませんが
これ以上の説明はまだ
言語化できていなくて
とても活字では説明しきれなくて、ごめんなさい。
なんとかわかる範囲で綴りました。
こんなことはnoteだから書くことができたと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました^ ^