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202205 雑記

WS参加したときに、ハラスメントみつよっつよだなと感じていた映画監督がSNS界隈でほんの少しだけ炎上して(案の定パワハラ案件だった)、なんとなく本人のSNSの更新がなくなって、しばらくしたらしれっと復活してた。

炎上も復活も、世界中のほとんどの人が知らないことだ。
だから余計なことを発信して燃料を投下するより、ほとぼりが冷めるまで黙っておくというのは判断としては妥当かなとも思う。
何より、わたしの住む国のトップ(と呼ばれる人、別にわたしより上とか思ってないけど)たちがよくやる手だし。

大体のことは、記憶から日々少しずつ薄れていく。からこそ、これは絶対忘れちゃならんやつだ、のことは心のノートに文字化しておくようにしている。
こんなことがあって、こんなふうに感じて、どんなとこが許せなかったか。告発はせずとも、絶対に許さないぞと決めておくことはわたしの精神上わりと良いこと。人によるだろうけど。

一方で、過ちが絶対に許されない感じになるのも嫌だ。
わたしと相手の間で起こったこと、はわたしが許す許さないを決めたい。わたしにはその権利がある。
その人がその後改心して、わたしとの間に起こったようなことをしないのであればそれはもう、いい勉強をしたねあなた、ということで、わたしはその人のことを許さないけれど誰からも許されずに生きていけ、とは思わない。
わたしにとって「許さない」は「嫌い」と同義語ではないってこと。

ただ、その人が「改心しました(改心中です)」みたいな感じで積極的にいうのはまた違うんじゃねーか、と思う。
改心ビジネスというか、いや商売にはしてないけど。
過去にハラスメントしてた人が今はしてないとして、そうしないように頑張ってます!勉強もしました!みたいなのを言うとさ、現在のその人の周りにいる人は今のあなた立派だよ!みたいな態度取ったり、なんならSNSで「この人今は変わりました」みたいなこと言ってわたしでもないのに勝手に「許した側」に立つ人が現れたりして。

わたしは言わないですよ、何があったかなんて具体的には。
それはわたしが「言いたくない」から。
でもわたしが何も言わないでいると現在立派、の側面だけが一人歩きしちゃう感じがどうもね。こんなことがあって、の部分はだいぶぼやかされてるのバランス悪!て思っちゃう。現在をよく見せるための下敷きにはされたくない。
これはあれか、簡単に言うと二次加害ってやつなのかしらね。そんなつもりないんだろうけど。

嫌な記憶だけじゃない、最高だった思い出も絶対忘れたくないから何度も何度も思い返す。
夫が人生で一度はバイクで走ってみたいと言ってた福島県の磐梯吾妻スカイライン、それはそれはよかったことをここに書いておく。5日間で932キロ、本当に最高だった。

一生忘れない。

磐梯吾妻スカイラインにて


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