感情という馬を手なずけて綺麗な景色をもっと観たい

ここ1年ほど、マインドフルネスに興味がある。今日はマインドフルネスに関する本の著者さんと話し、改めてこのマインドフルネスを日本に定着させることは、私の人生のテーマのひとつだと強く感じた。

マインドフルネスとは、「今・ここ」に意識を集中すること。日本語では瞑想ともいわれる。瞑想と聞くと怪しいと思うかもしれないが、科学的に効果が実証されていて関連書籍がたくさん出ているので、詳しくはそちらを読んでもらいたい。

それにしてもなぜこんなに、自分がマインドフルネスに惹かれるのかを考えてみた。

その理由は、もともと感情の起伏が激しく、ものすごく感情に振り回される性質だからだと思う。

小さいころから感受性が豊かすぎるというか、とても感じやすかった。小学校低学年くらいまでは特に、恐怖心がありすぎて、あらゆるものが怖くてあらゆることが心配だった。

こうなったことの原因のひとつに、幼稚園のころから、毎年1回、母親が入院していたことがあると思う。それは3年くらい続いた。そのせいでいつ誰が死ぬのか、異常に気にする子どもだった。年に一回母親がいなくなることが恒例行事のように感じ、小学校2年くらいからはもう入院することはなかったのだけれど、しばらくの間はまた急にいなくなるんじゃないかという不安があった。

あとは想像力も豊かだったため、通学中の地下鉄の地下道で誘拐されるんじゃないか(誘拐事件のTVをみたあと)、寝ている間にUFOに連れ去られて解剖されるんじゃないか(超常現象のTVを観たあと)、急に奇病にかかるんじゃないか(ブラックジャックを読んだあと)なんてこともよく想像しおびえていた。しかもおびえると食欲もなくなり気持ち悪くなったりするので、大変生きづらかった。

そんな風に感情に支配されていると、成長していくにつれてあらゆる不都合が出てくる。TVや映画を観るのが怖かったり、お化け屋敷もジェットコースターも怖い。ついでに好き嫌いも多く、辛いものも食べられない。とにかく刺激に対して弱すぎた。

そんな自分を変えたいと思い、思考のクセを変えた。感情よりも、論理的に考えることを、あるときから優先するようになった。

こうしてだんだんと恐怖心を克服し、大人になった。子どもが怖がりなのは当たり前で、大人になると怖いものが減るのも当たり前だと思うけれど、私の場合はその過程で「論理的であること」「理性をもつこと」にかなり頼った。

しかし、それだけでは感情と理性のバランスをとることは難しいと感じている。極端になりがちで、中庸が難しい。

しかしマインドフルネスは、意識を今に集中させることで、感情を変に押し殺すことなく、コントロールできる。

人が悩んだり、苦しんだり、不安を感じたりするのは、結局感情に振り回されているからではないか。ある本に、普通にしていると人間は、「感情という馬に振り回されていて、気分しだいで行く先がわからない状態」と書かれていた。それはもっともだ。しかし、感情という馬をコントロールできれば、馬の脚でいろんなところに行ける。

感情と理性のバランスは、私にとってかなり切実なテーマだ。それに対して今のところ、いちばん究極の答えを出してくれたのがマインドフルネスだと思う。

マインドフルネスが広がって、自分を自分で幸せにできる人が増えることを心から願う。




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