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もしも一年後、この世にいないとしたら

最近編集をした本のタイトルに、上のようなことばをつけた。私自身、この言葉をみるたびに少しドキっとする。

著者は、国立がん研究センターの精神腫瘍科で働く清水研先生という精神科医の方。「精神腫瘍科」という言葉は初めて聞く人が多いと思う。精神腫瘍科とは、がん患者さん専門の精神科医のことだ。

今、がんになる人は二人に一人と言われている。自分ががんでなくても、身近なひとががんに罹ったことがある、がんで亡くした経験がある人を含めたら、多くのひとの人生にがんは関わっていることになる。

私の母も、数年前にがんが発覚した。母のがんが発覚したとき、わたしは自分のことで手一杯で、ほとんどなにもできなかった。当時は住んでいるところも遠かったし、親戚に任せっぱなしだった。何より母の病気に向き合うのが正直怖かったのだと思う。母が死ぬかもしれないことをどうやって考えたらいいのかわからなかったし、死ぬかもしれない人とどうやって接したらよいのかわからなかった。

でも母は強かったので、ほとんどひとりで治療を乗り切って、病気をきっかけに生活を変えた。食べるものも変えて、ヨガをしたり、仕事をセーブして、健康的に暮らすようになったと思う。今は一応、再発の可能性はほとんどないというところまできて、健康的な暮らしのおかげで前よりも元気になったくらいに感じる。性格も、何かふっきれたのか前よりも明るくなった気がする。

病気になるのは辛いし、死んでしまうかもしれないことは本当に恐ろしい。でも母を見ていると、病気をきっかけに前よりも強くなったと思う(もちろん病気になって良かったとまでは思わない)。

この本では、がん告知を受けて一度は絶望した患者さんが、先生との対話を通じて事実を受け入れ、自分の人生にたいして真剣に向き合っていく様子がつづられている。そうやってショックなことと向き合う力を、レジリエンスというそうだ。レジリエンスは先生が患者に与えるものではなく、患者さん自身んの中から出てくるものだそう。先生ができるのは、話をきく場、患者さんが悲しみと向き合う場をつくり、寄り添うことだ。

がん告知を受けた人にとって、そうやって寄り添う存在があることはどんなに助けになるんだろう。私自身、恐怖で病気の母としっかり向き合うことができなかったと思うので強くそう思う。

清水先生に初めて会ったとき、先生の存在感がふつうの人とは全然違うことに驚いた。大きな病院の偉い人であるはずなのに、さとりを開いている人のような穏やかな印象を受けた。先生の誠実さ、人のために尽くしている人だということは、話しているうちにすぐに伝わった。私自身、この先生にだったらなんでも話してしまうだろうと思ったし、人の弱さを受け入れる大きな器を持っている人だと思った。そのとき「この人の本を絶対に作って、世の中に広めなければいけない」と思った。

忙しいなか取材の時間をとって頂き、1年以上かけてやっと1冊の本という形になった。がんと何かしら関係のあるひとは、きっとがんという病気とつきあうためのヒントが見つかると思う。でもこの本は、ほんとうは今はがんや死ぬことと全く関係ないと思っている人にこそ読んでもらいたい。「いつか」とおもっていると、「いつか」がくるまでに死んでしまうかもしれない。平均寿命はただの平均で、自分が明日生きているか死んでいるかは、いつも二分の一の確立だ。「死」について考えることは、「今を生きる」ことについて考えることだと思う。すべてのひとが、自分の今を生きることに精いっぱいになれたらいいと思う。

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