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『カメラを止めるな!』と『羅生門』の木曜日

恥ずかしい話からはじまる自伝は信用できる。

戦前の軍事病院での、映画雑誌を前にしたとある若者同士の会話。

「これがシナリオ……映画のシナリオというものですか」「そうです」「あまりにも簡単なので、ちょっと吃驚(びっくり)したけど……実に簡単なものですね」 小柄な男が妙な顔をした。「この程度なら自分でも書けるような気がする」 ベッドの上で胡座を組んでいる小柄な男の顔に微笑が浮かんだ。「いやいや、そんな簡単には書けませんよ」「いや、この程度なら、自分のほうがうまく書ける。これを書く人で、日本で一番偉い人はなんという人ですか」(中略)「伊丹万作という人です」(中略)「じゃ、僕はシナリオを書いて、その伊丹万作という人に見てもらいます」

「ぼく」は、映画業界について少しの知識をつけたのちに、この考えの浅はかさを反省する。当時の伊丹万作がどんな人物か、まったく理解できていなかったのだ。

それは仰角一杯にそそり立つ断崖の巨人、近寄りがたい巨星で、その一言半句ですらが映画界への影響は大きい。(中略)おそらく私の書いたものなどは無視、いや、目もくれない。

そう考えていたが、彼は3年かかって1本のシナリオを書き上げ、ダメでもともとと伊丹万作に送る。するとその才能を認められ、生涯弟子を取らなかった伊丹から、数年にわたって丁寧で具体的なフィードバックをもらうことになる。

なぜ3年もかかってしまったか。不慣れもあったろうが、こんな事情があった。

 私の勤務先の会社の姫路市までは汽車で約五十分、この汽車通勤の朝の五十分と、帰りの夕方五十分が執筆の時間で、図板を鞄から取り出して鞄の上に置いて字を書く。(中略)帰りは通勤客が一杯で座れない。仕方がないので立ったまま図板を出し、その上に図板を置いて字を書く。 戦争中の軍需会社に日曜祭日はない。月に一、二度の休みはあっても、下書きを原稿用紙に写し替える作業もあり、作品の書き込みは往復の通勤列車の車内だけ(中略)言いかえれば、作品なんて書く気さえあれば、場所と時間はどこにでもあるということかもしれない。

「どこにでもあるということかもしれない」なんてやわらかい書き方がされているが、「どこにでもあるんだから、いいからやれよ」というメッセージに思えて仕方がない。

「ぼく」はこうして、兵庫から東京の伊丹万作に原稿を送り、指導を受け続ける。そうして鍛えた力で書ききったのが、『羅生門』であり『七人の侍』だ。彼の名を、橋本忍という。

時間がない、金がない、環境が悪い、あいつに見る目がない——。

世の中はもっともらしい言い訳であふれているけれど、たった300万の予算で作られたアイデアの権化のような傑作『カメラを止めるな!』と、橋本忍さんの逝去のニュースをみて、自分のがんばりの足りなさを反省した2018/07/19(木)の夜でした。

上記引用はすべて、橋本忍さんの自伝『複眼の映像』から引っ張ったものです。めちゃくちゃおもしろいしためになる本なので、なにか作っている人、書いている人はぜひ読んでみてください。2010年文庫化の本なのに、Kindle版もあって文芸春秋さんすてきです。

また、Amazonプライムでは、橋本さんが世に出るきっかけとなった超名作『羅生門』がみられます。90分もかからないので、この機会にちょっとでも興味を持った方はぜひ。ぼくにとっては、生涯忘れられない映画のひとつです。めちゃくちゃおもしろい。

最後になりましたが、橋本忍さんのご冥福を心よりお祈りします。

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