映画「ミッドナイトスワン」を観たら夢に出てきた話

少し前、Netfrixに「ミッドナイトスワン」が入っているのに気づいて、なんとなくマイリストに登録しました。
そして昨日の日曜日、掃除洗濯などやるべきことはやったし、野球でも見るか……と思ったら、私がテレビをつけると贔屓チームがピンチの場面ということが続いて見る気がせず(案の定、贔屓のチームはサヨナラ負けしていました)、なんとなく「ミッドナイトスワン」を再生してみました。
途中、観るのがつらくて何度か止めたり、逆に少し巻き戻しては何度も観たりしながら、でもエンドロールの最後までしっかり観ました。

そして、夢を見ました。夢のストーリーや細部は全く憶えていないけれど、夢を見ているときの気持ちは憶えていて、『あーこれ、ミッドナイトスワン観たからだな……』と、寝ている最中も起きてからも思うような、そんな夢です。悪夢と言うほどではありませんが、ちょっと疲れたな、という感じです。

このままでは今夜もまた夢に出て来そうなので、感想を出力しなくてはと思いましたが、Twitterでちまちま書いていても埒が明かない。よって久しぶりにnoteを書いているわけです。
あ、もちろんネタバレしますのでお気をつけて。

主人公の凪沙は、水商売は本当は得意じゃないんだろうな、と思いました。冒頭、自らの性の違和感に気づいたエビソードを初めての客の前でメランコリックに語って場を白けさせたシーンに始まり、狭くて生活感はあれど精一杯片づけられたアパートの部屋、ホステスという職業に対してシンプルすぎるように思われるふだんの服装、丁寧な化粧の仕方、たおやかで囁くようなしゃべり方。一果の踊りを見て「きれい……」とうっとりする表情。
そして何より私の心を打ったのは、彼女が(この作品中では)恋愛をしないこと。それを飛び越えて、一果への母のような愛に身を捧げていくことでした。
私は性自認は女性、体も女性、異性愛者ですが、恋愛に重きを置いておらず、恋人や配偶者がいなくても全く問題ないという質です。セルフパートナードとか、アセクシャルとか、そういう分類になるのでしょうか。(呼び方は何でもいいのですが、そういう名前があるということは、私以外にもそういう方々が一定数いるものなのだな、と思って安心します)
ですから、凪沙がただ自分のために(そして後には一果のためにも)女性になりたいんだな、という理解が進むにつれて、彼女のことが愛しく、慕わしく思えてなりませんでした。

凪沙がもし女性の体で生まれていたら、堅実に仕事をし、家の中も心地よく整え、たまにバレエや美術館などを楽しみ、結婚したかどうかはわかりませんが、子供が出来たら慈しんで育て、地味だけれど愛らしく素朴な野の花のような、つましくも幸せな一生を送れたのではないかと思うと、たまらない気持ちです。
女性用のスーツを着てバレエ教室を訪れたときの、実花先生から「お母さん」と呼ばれて恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑う凪沙が、おそらく映画の中で、もっとも本来の彼女の質を現わしていた気がします。

もう一人、強く印象に残ったのは一果の友達になる「りん」です。なぜ彼女が一果によくしてあげるのか、最初は、家庭で本当に欲しいものが手に入らない心の穴を埋めている的な、よくある解釈しか出来ていなかったのですが、屋上のキスシーンで、『ああ、そうだったのか……そうか……そうだったんだね……』と思い、ここはちょっと泣きそうでした。
もう一つの屋上のシーンも、まさかあんな方法とは……カメラワークが切り替わって、テーブルが複数台連なった先にフェンスが見えたときは、『飛び降りるんだろうな』と思っていたのと相まって、背筋がゾッとしました。

こうして書いてみると、この映画で描かれているのは女性の世界、シスターフットという気がします。ただ、トランスジェンダー女性である凪沙や瑞貴たちの世界と、シス女性たちとの世界は連帯できていない。「女性」というだけで、一部の男性から一方的に美醜で判断され、性的搾取の対象とされる立場は同じはずなのに。

最後に、今さら何をという感じでしょうけれども、それでも言わずにはいられない。草薙くん、お見事すぎました。就職するために髪を切った姿、髪型は全くもっていつも見なれた「草彅剛」だったのに、表情といい話し方といい凪沙でしかなく、私は思わず『凪沙ーーー!なんで髪切ったんよーーー!!!』と叫びましたね、心の中で。それくらいリアルでした。

頭の外に出したので、今夜は夢を見ないでぐっすり眠れるといいな……。

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