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2023年2月20日の記録

今日は、朝まで起きることなく眠れた。
2020年の春からずっと、在宅勤務である。会社で受けたProfileXTという特性診断のようなもので「とても在宅勤務に向いている」という傾向が出た私だが、言われなくても知っていた。この働き方は向いている。

会社で、周りの人の話し声や物音、会話の内容などが聞こえて来ると、無視できない。大声を出している人とか、怒っている人とかがいると、心がざわざわして落ち着かない。こういう人は、一つのものごとから受け取る情報量が多いゆえ、と何かの本で読んだ。

しかし今日は、救急車のサイレンが聞こえるたび、少し動揺した。いわずもがな、昨日の経験からだろうけれども、恐いとか、そういう感情ではない。
うちはしょっちゅう、救急車が近くを通る。今まで、すぐそこに救急外来のある大きな病院があるからだろう、くらいにしか思っていなかった。でも、違った。救急隊の方にお礼状を書こうと思い、調べてわかった。消防署が、うちが面している大通りの先にあるからなのだ。いつも聞こえるあのサイレンは、出動していく救急車の鳴らす音だった。
サイレンの音をちゃんと聴いていれば、病院とは別の方向に向かっているのがわかる。(今もまた、サイレンの音が通り過ぎて行った)今までぼーっと聴いていたから、少し考えればわかりそうなことが、わかっていなかった。これがあれか、「解像度が上がる」ってことか。こういうことって、世の中にまだまだあるんだろうな。

ここ数日、Netfrixで「ペンションメッツァ」を見ている。第一話の「山の紳士」で、たぶんこの先、忘れられない台詞に出会った。
『暗い森を好きなように歩きまわる自由があるのに、樹々の間から遠くに見える、家々の小さな灯りにあこがれてしまう』
(表記は私の勝手な解釈)
しばらくこの言葉をぐるぐる考えると思う。何かもっとまとまったら、また書きたい。今日は記録まで。

この短い文章を書いている間に、二回も救急車が通り過ぎて行った。
この感情をうまく言語化できないのだけれど、最も近いのは「ありがたい」だと思う。こういうことを言うと「仕事だから」みたいな冷めたことを言う人がいるけれど、そんなことは百も承知で、それでもありがたい。
何かあれば駆けつけてくれる方々がいるという心強さを感じつつ、なるべくご面倒をかけないように、養生して暮らそうと思う。


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