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FC東京の暫定監督、森下申一さんとは!?やっぱ、レジェンドなんです!

 11月10日、FC東京は長谷川健太さんの後任に残り3試合の暫定処置として、森下申一さんの監督就任を発表した。

 まず、長谷川健太さんには感謝の意を伝えたい。

 就任してからの4シーズン、特に2018、2019シーズンは久しぶりにワクワクするような日常を過ごさせてもらったと感じている。
 
 今まで、見たことのない景色を見せてくれたと思っているし、これだけ長期間にわたってホームもアウェイも前向きな気持ちでスタジアムに行けたのも恐らく、私の中では初めてだったと思う。
 
 このご時世もあって、ここ2シーズンは難しい戦いを強いられることもあったかもしれないが、楽しい4年間を観せてくれたことに感謝したい。それだけに様々な事情があったにせよ、良い別れ方をしたかった。

 そして、暫定監督になった森下申一さんについて綴っていきたい。

 若いファンや、最近FC東京に興味を持ち始めた方は「どんな人?」とお思いの方も多いかもしれないが、長いことサッカーを見てる方は「おお!あの森下が監督!」となる方も多いはず…

 今回は、主に最近FC東京に興味を持ち始めた方向けに森下申一さんが、どういう方なのかを紹介していきたい

•高校時代は伝説のチームのメンバー!?

 静岡学園高校時代は、1年生の時に高校選手権で準優勝をしている。

 それまで、関西で行われた高校選手権が現在の首都圏開催に変わった年で国立競技場での決勝戦は満員だった。決勝の相手は水沼貴史擁する浦和南高校。そこで、静岡学園高校はこれまでの高校サッカーの主流であった縦に速いサッカー、キック&ラッシュではなく、ドリブルとパスを繋ぐゆっくりとしたサッカーを披露した。


 現在でもその傾向が強いが、静岡学園というチームは森下さんが在学されていた40年以上前からボールテクニックを重視する方針でチーム作りを行なっている。歴代のOBを見ても、大島遼太、旗手怜央、カズ(1年中退)、増田忠俊、向島健、谷澤達也、久保山由清など前線のアタッカータイプ、或いは足元の技術に特徴のある選手が多い。そのような環境下で育ったので、森下も当時のGKとしては珍しく、足元でのボール扱いを苦にせず、正確なフィードでチャンスを演出することもあった。

 この時の静岡学園の戦いは、それまでの縦に速いサッカーに一石を投じるような形で、その後の高校サッカー界にも大きな影響を与えたと思う。

 現在、宮城の聖和学園や滋賀の野洲高校などボールテクニックを重視して、ドリブルと細かいパスで相手を崩していくチームが増えてきたが、そのパイオニアが当時の静岡学園であり、正GKが森下さんであった。現在、年末から正月にかけて行われる高校選手権(今年で100回目!!)の出場権を争う県予選が全国で行われているが、高校選手権の歴史を振り返る意味でも、当時の静岡学園の試合は必見の価値があると思う。

•日本代表では

 1985年に翌年のメキシコW杯出場を目指す日本代表に招集される。

 日本代表招集当初は、同い年の松井清隆の控えであったが、メキシコW杯予選のアウェイの香港戦でスタメンに抜擢され、守る時間帯の多かったこのゲームでPKを止めるなどの活躍を見せて日本の最終予選進出に貢献している。ちなみに最終予選では、今でも語り継がれる木村和司のFKがありながらも韓国に破れ、本大会出場はならなかった。W杯、「メキシコの青い空」は当時の日本サッカーにはまだ遠い存在であった。



 2年後のソウルオリンピックアジア予選では正GKとして、20年ぶりのオリンピック出場を目指す日本代表の守護神として活躍するが、最終予選で中国に敗れ、オリンピック本大会への出場は叶わなかった。また、1989年の7月に日本代表は初めてブラジルのフル代表とリオデジャネイロで試合を行なっているが、その試合でもゴールマウスを守ったのも森下であった。



 控えの時代が長かったが、日本サッカー冬の時代のゴールマウスを守った一人である!

 •ヤマハ〜そして指導者として

 静岡学園高校、東京農業大学を経て、1983年に日本リーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に入部し、1987〜1988年シーズンではチームを日本リーグ優勝に導いている。また、1987年にはGKとして、現在でもただ1人の日本年間最優秀選手賞を受賞している。(ちなみにこの賞は現在もあり、2020年は三笘薫が受賞)

 ヤマハ時代からチームの絶対的守護神として君臨し、1994年、34歳を迎えるシーズンではヤマハから移行したジュビロ磐田でゴン中山や元オランダ代表のファネンブルグ、1990イタリアW杯の得点王のスキラッチと共にJリーグ昇格1年目のチームを支えた。しかし、その年のシーズンオフに若手を起用するチーム方針により戦力外通告を受け、翌1995年シーズンは当時JFLに所属していた京都サンガに移籍。チームのJリーグ昇格に貢献する。ジュビロ磐田、京都サンガの2チームのJリーグ昇格に貢献し、1997年シーズンを最後に現役を退く。

 引退後はGKコーチとして古巣の京都サンガ、ジュビロ磐田を初め、ジュビロ磐田U–18、栃木SC、G大阪、女子のINAC神戸、そして2019シーズンからはFC東京のコーチを務めている。現役を退いてから24年、様々なカテゴリーのクラブで一貫して指導の現場の第一線で活躍し続けている。

•最後に

 長谷川健太監督が解任され、ネガティブな感情になる方も多いかと思うが、残り3試合、優勝もなければ降格もない。ハッキリ言って何も失うものもなければ、楽しみなものもない…

しかしそんなFC東京のチーム状況の中、私はかつてのレジェンドである森下申一が監督の座に就いている光景を楽しみたいと思う。

 これだけの実績があって、小さい頃から名前を知っている選手が自分の応援しているチームの、暫定的ではあるものの監督の座に就いている状況が初めてである。

 こんなご時世であるから難しいが、本来であれば現役時代のカードを持って行って、「応援していました!残り3試合、一緒に頑張りましょう!」と声を掛けたいくらいだ。



 少し、駆け足になってしまったかもしれないが、森下申一さんがどんな経歴で、レジェンドであったか、この記事を読んでいただいて、感じていただけたかと思う。 皆さんも、残り3試合、森下トーキョーを楽しみましょう!




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