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今必要な、希望を知るために

 この本は昨年(2020年)読み、その圧倒的なエネルギーに背中を押されるかたちでnoteに感想を綴ったのだが、今年開催の「#読書の秋2021」でも改めて紹介したいと思い、再度公開することにした。
 自分で言うのもおこがましいが、今久しぶりに下記書評を読み返したところ、濃厚な読書時間そのものが浮かび上がってきて楽しめた。

 去年読んだ本でもいいはずだ。
 良い本は、いつ読んでも確かな熱を帯びて心を震わせるのだから。

 杉原千畝という日本人を知っているだろうか。私がその存在を知ったのは大学在学中だった。もっと早ければ生誕百年の祝典なども知ることができたのに、という悔しさもあるが、仕方ない。過ぎ去った祝典も、記念館の開館も、新たな出来事も、今だからこそ、知ることができたのだ。そして齢を重ねたからこそ、より深く彼の偉業を、人間としての本質を感じることができたのだと思う。私は、この貴重な本と出会えた今を喜びたい。

 1900年生まれの杉原千畝は、第二次世界大戦中、リトアニアの領事代理を務めた。その間、ナチス・ドイツの迫害を恐れたユダヤ人難民に、日本を経由してアメリカなどに亡命できるようビザを発行。外務省の命令に逆らい、約6000人もの命を救った。自身にも身の危険があるにも関わらず、連日連夜ビザを求め行列する人々の声に耳を傾け、命がけで発行し続けた。

 本書では、1986年杉原の逝去のニュースによってその存在を知ったという筆者が、約30年もの研究を重ね生み出した一冊。単なる資料の集大成ではない。筆者は杉原の故郷である岐阜県八百津町はもちろん、リトアニアや中国、ロシアなども旅することで、その足跡を真摯に辿っていった。人々からの話、本人の肉声テープ、杉原が親族へ宛てた手紙などからも、彼の輪郭を描いていく。そこには輝く英雄像などではなく、寡黙さに内包された苦悩や葛藤、そして何より生きた一人の人間の信念が見えるようだった。
 劇的な生涯は映画でも見たことがあったものの、本書によって初めて知るものの方が圧倒的に多かった。杉原の成し遂げたことは、ビザだけではないのだ。あらゆる外交面で活躍した。戦時中は杉原にスパイへの打診があり断ったこと、ビザ発行に賄賂をもらっていたのではないかという事実無根の疑いをかけられていたこと、必死になって職務にあたっていたにも関わらず、子供の葬式代を用意できないほど苦しい生活を送っていたことなど、想像以上の激しさを知った。

 彼には博愛人道精神があった。しかし、それだけではなかったはずだ。本当の優しさや愛は、生半可な絵空事では実現できない。自らを賭けてこそ貫ける信念なのだと感じた。言い訳もしない。自分の功績も声高に言わない。沈黙こそは日本人の美徳だ。世界に開かれた目を持ち、国際的に活躍した杉原は、武士道とも言える日本人の美徳を体現した人物であったように思える。
 杉原はきっと、外交官として自分ができることを全力でやっただけに過ぎない。しかし、それができる人はどれほどいるだろう。杉原は、苦難に満ちた環境であっても、常に全力で努力し、生きた。学生時代から晩年まで、その人生を巡るうちに、自分の中にある何かが騒ぐのを感じた。自分は、この世界でどう生きるべきだろうか、と。

 本文中に置かれた筆者の言葉は、まさに今、未曾有の混沌の中にいる私たちに光を与えてくれるものだ。

「杉原が示した人間愛は私に、私たち人間の生み出す問題の多さにもかかわらず、それでもこの世界は生きるに値することを確信させてくれた」


 彼が救ったのは6000人ではない。その子孫や、関係したたくさんの人々の未来をも救い、広げてくれた。時代も国境も関係ない。私たちは、杉原千畝という一人の人間が示してくれた可能性に満ちた未来に生きているのだ。杉原の魂は、永遠の希望としてこれからも輝きを失うことはない。そしてこの本は、今を生きる私たちにとって、未来を信じる希望の糧となるだろう。

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『素描・杉原千畝』
小谷野裕子 著(春風社刊)


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