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暗がりに浮かぶ #note墓場

隣県の大学に受かり、一人暮らしのために住居を決めるにあたって、一番の条件としたことを聞くと、両親は不思議そうな顔をした。
トランクルームが近所にない場所。
別に騒音がどうとか、治安がどうとか気にした訳ではない。子供の頃の、トラウマのような出来事が、ぼくをあの場所から遠ざけさせるのだ。

あれは、ぼくが小学生の時のことだった。

習いごとから帰ってきたぼくは、自転車を片付けるために近所のトランクルームに向かった。
ぼくの家には、物置というものがなかったので、近所にトランクルームを借りていた。

どんよりとした冬空のせいか、その日は特に寒く、まだ夕方のはずがトランクルームの周りはかなり暗くなっていた。
住宅街の一画、大きな道路沿いにあるトランクルームは、普段はそれなりに人通りもあり、車も多いせいか割と騒々しい。
だが、その日に限って、なぜか人影がなく、車さえもまばらで、普段から使っている場所のはずなのに、どこか違う空間に入り込んだようだった。

思わず、入り口で足を止めてみた。
ぼくの家で借りているトランクルームは、並びの中でもかなり奥まっていて、特にひっそりとしている。
ごくり、と息を呑んだ。しばらく人が来ないか待ってみたが、元々頻繁に利用される場所でもない。
諦めて、自転車をひきながら、そろそろとその区画へ足を進めていく。

暗証番号式のカギをあけると、冷えた空気が中から漂ってきた。
真っ暗な空間がぽかりと口を開いている。
普段なら目が慣れるまで待ってからしまうのだが、この日ばかりは帰りたさの方が勝った。
目をつむって、えい、と自転車をつっこむ。
ぐにっとした感触が、手にまで伝わった。
えっ、と前方のタイヤに目をやってしまい、ぼくは心底後悔した。

土気色の顔が、そこにあった。

声が出なかった。がしゃん、と自転車が倒れた音を聞きながら、思わず尻餅をついてしまう。
逃げなきゃ、逃げなきゃ。
気持ちばかりが焦って、手が、足が思うように動かない。

「どうしたんだい?」

横からかけられた声に、ぼくはようやく体の動きを取り戻した。そちらに顔を向けると、顔見知りのおじさんがこちらを覗き込んでいた。
ほっとしたのと同時に、ものすごい恐怖が襲ってきて、相手に飛びつくようにして必死に訴えた。
「か、かお……」
「え?」
「男の人が……、男の人がっ、中に……!」
やっとのことで声にした。ぼくの訴えを聞いたおじさんは、開きっぱなしのトランクルームの中に入っていった。
しばらく沈黙が続いた。
まさか、おじさんが襲われたのでは?
続く恐怖に怯えていると、ようやくおじさんがトランクルームから姿を見せた。安心させるように笑っていう。
「誰もいないよ?」
「へ?」
誰もいない。その言葉をぼくが咀嚼している内に、おじさんは倒れた自転車を片付け、トランクルームの中へ入れてくれた。そして扉を閉めながら、誰もいなかったよ、と笑う。
「今日は天気が悪くて暗いからねぇ。ビニールシートを見間違えたんだと思うよ」
「う、うん……」
そう言われると、それ以上、聞き返すことははばかられた。ましてや、自分で確認する勇気もない。
おじさんにお礼を言い、ぼくはトランクルームを後にした。
怯える僕を気遣ってか、おじさんはトランクルームの区画を出るまで見送ってくれた。

以降、ぼくはトランクルームに行けなくなった。
自転車を使う機会を出来るだけ減らし、どうしても必要な時も、年の離れた兄に取りに行ってもらった。
見間違えたのが恥ずかしくて、両親には話せなかったが、取りに行ってもらう関係上、兄にだけはこの出来事を打ち明けた。

ふうん、と黙って聞いた後、兄はしばらく無言だった。笑われることは覚悟していたので、この沈黙は意外だった。
そして、ぽつりと言った。
「それ、見間違いじゃないかもな」
「え?」
「いや、俺は見たことないから微妙なんだけど、あの場所、昔ラ……」
言いかけて、兄ははっと言葉を止めた。そして少し迷った様子で、こう言い直した。
「昔、小さなホテルがあってさ、その時に殺人事件があったんだよ。ニュースで見た」
「はぁぁっ? こんな近所で?」
「ああ、まだ俺が幼稚園に行ってた頃くらいかな。ニュースで映った時はびっくりしたよ」
兄の懐かしそうな声を聞きながら、ぼくは背すじがゾワゾワするのを止められなかった。
だって兄が言おうとしていることは、つまり。
「ぼくが見たの、ゆうれい、ってこと?」
「もしかしたら、な」
まぁ、信じてないけど、と言いつつも、とりあえず、兄はぼくのわがままな要求を聞き入れてくれたのだ。

あれから、かなりの歳月が経つ。
高校を卒業し、大学に通うために一人暮らしを始めた。実家から離れた県で暮らしながら、記憶こそ少しずつ薄れつつあったが、やはり拒否反応があり、トランクルーム自体は苦手だ。
だが、そろそろ克服する時期に来ているのかもしれない。
過ぎてしまえばいっそ過去の怪談話、あの時の兄の話を思い出し、ちょっとネットであの場所について調べてみた。
ひょっとして、兄にからかわれたのかもしれない、そんな風に思って。

ーーだが。

兄の言っていたことは真実だった。
あの場所は昔、ラブホテルが建っていて、そこで殺人事件があった、と記載されていた。
うわぁ、と思うと同時に、兄が口ごもった理由が分かって苦笑いする。
たしかに、小学生のぼくにラブホテルを理解するのは難しかったろう。
そこで、ふと違和感をもった。

ラブホテルで殺人……それで出る幽霊が男性?

いや、もちろん、ない、とは言わない。男女で使うだろう、というのも偏見なら、利用者同士のいざこざとも限らない。なんなら、女性でも男性を殺すこともあるだろう。
わずかな、ひっかかりだった。更に調べていくにつれ、この事件に関しては先入観が正しかったことを知る。

被害者は、女性だった。

やはり見間違えだったのだろうか。
いや、たぶんその答えが、一番納得できないのだ、ぼくは。
土気色の顔。暗がりではっきりと見えた、どろりとした目。そして何より、あの感触。
幽霊、と言われた方がよほど信じられたくらい、あの手応えはビニールシートなんかじゃなかった。

一体、あれは何だったのだろうか。
その答えを出せないまま、ぼくは未だにあの場所に近づけずにいる。

サトウ・レンさんのお題企画に合わせて書いてみました。
実はホラーはかなり好きな分野なので、他の方のを読むのも楽しみです。
(書き上げてなかったので読む方は少しセーブしていたので)

サトウ・レンさん、素敵な企画ありがとうございました!