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お互いがもっと幸せになるための離婚

数カ月前から、Official髭男dismの「Pretende」が心に刺さりすぎてる。歌詞に描かれた、報われない運命にいつかの自分を重ねる。

刺定期的に弱る日が来る。一番近かった人のことを思い出す夜がある。思い出すのが、幸せだった頃の2人ばかりだから苦しい。結局、幸せにできなかったって思うから苦しい。

あの人がいなければ、私はこんなにも強く生きていけなかった。誰かに愛されることや想われることを教えてくれたのは、あの人だったと思う。いつも穏やかで、私はぬるま湯の中にいさせてもらえた。一番汚い私を知ってる人。だからこそ、苦しかったし、大事だった。

何も知らない人のほうがはるかに楽だ。でも、そういう人と付き合っていると、なんで自分はこんなにも上品ぶって賢そうに振る舞ってるんだって思うんだ。あの人の前では、なんでこんなに馬鹿を演じないといけないんだって思ったりしたくせに。

離婚が決まった時、あの人が言った言葉がいまだに忘れられない。「恨み合って別れるよりも笑顔で別れよう」と。「楽しかったじゃないか」って。それを思い出すと、泣けて泣けて仕方がない。あの人の人柄がこもった言葉だった。そういうところがたまらなく好きだった。でも、好きだけでは続けていけなかった。その事実が、そう思ってしまった心が苦しかった。

幸せにできなかった。幸せにしたかった。私は最後の言葉を一生忘れないと思う。別れ際で言ってくれた優しさ、ずっと忘れない。忘れたくない。一番幸せになってほしい人。私では築けなかった幸せを他の人と手にしてほしい。

大切な嫁だと言ってくれた、あの人によく似た優しい両親。あの人の家に行くと、あの人の親に接すると私はぬるま湯に包まれてる気がした。こんなにも穏やかな家庭があるんだなって幸せになれた。団らんを知った。そうやって色々教えてもらったのに、結局私がしたのはあの人も親も苦しめることだけなのだろう。

笑顔を思い出す。幸せだった頃を思い出す。夜の散歩を思い出す。家を建てる時を思い出す。帰宅後のスーツ姿を思い出す。ひとりで新天地を下見した時、どんな心境だったんだろうって想像すると苦しくなる。あなたも泣いたのかな。最後の日、なんでもないかのように「じゃあね」と去っていった、あの人。いままでありがとうと言えなかった、私。きっとそれが私たちの精一杯だった。

記憶から消したいのに、絶対に消したくない人。好きではないけど、別れても大切な人。夫婦でも恋人でも友達でもない。なのに、おそらく私のことを1番よく知っている人。身内よりもずっとずっと。そんな人が1人いるのは、なんか不思議な感覚。悪くないと思う。この気持ちや関係に名前は付けられない。傍から見ればきっとよくわからない。自分も分からない。離婚=不幸ではなく、「幸せな離婚」。そう思えるように。お互いがもっと幸せになるための離婚だと、そう思えば――。

元旦那とか、長年連れ添った人ではなく、「一番幸せになってほしい人」というカテゴリーにあなたはいる。

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