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脱「みんな同じ人間なのだから」思考

物心ついたときから私はほかの子との違いを意識していた。我が家では七五三はなかったし、お正月にお雑煮も出ない。母をオンマと呼び、チェサと呼ばれる法事を1年に何度も行う。父は祖父が興したスクラップ工場で働き、身内に勤め人はいない。そんな家庭だった。

友達の前ではそんな違いなどないかのように振る舞った。七五三の話になると覚えていないと言い、お雑煮は食べたと嘘をついた。

周りも特に疑問に思わなかったようだ。パクユナという明らかに韓国の名前を持つ私に違いを尋ねてきた人はいない。名前がちょっと変わっているだけであとは自分たちと同じはずだと、誰もが1ミリも疑っていない様子だった。私も含めて。

当時の私は、みんな同じ人間なのだから違いではなく共通する部分、つまり多数派が体験することに目を向けるのが大事だと考えていた。違いによって「みんな」を煩わせたくはなかった。

マイノリティならではの体験はもっと隠した。言外に込められた蔑視。無邪気に露呈する偏見。そしてあらかさまな差別。少しでも傷つく可能性を敏感に察知するレーダーを備えているのに、人前では何も気にしていないふりをした。そして傷つくたびになぜか恥ずかしさを覚えていた。

そもそも「違うやつ」を交ぜてもらえるだけありがたいのに、私の特殊事情で面倒はかけられない。学校で、会社で、友達同士の集まりで、交際や結婚の過程で、私は本気でそう思っていた。めんどくさいと思われて、嫌われるのが怖かった。

そんな自分の考え方が不公平な社会を助長していると気づいたのは40に差し掛かる頃だった。「交ぜてもらえればそっちに合わせますから」というこの思考が行き着くのは多様性ではなく同化である。私は「みんな同じ人間なのだから」という耳障りのよい言葉にくるまれた排他性に気づかず、自ら生きづらい社会を実現しようとしていたのだ。

属性にかかわらず誰もが公平に生きられる社会には、「同じ人間なのだから違いは気にしない」のではなく、違いを認めたうえで受け入れる姿勢が欠かせない。そんな世界を実現するために私にできるのは、日常的にかかわるすべての人間関係において、恐れずに違いを声に出すことではないか。

違いを目にすると居心地が悪そうな人もいる。しかし私はもう遠慮はしないし、「同じはず」という期待にも応えない。違いを出すことこそが、インクルーシブな未来への第一歩だと信じているからだ。

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