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消してリライトして

以前書いた記事を振り返って“消してリライト”している。“リライト”というと聞こえがいいし言葉の響きもカッコいいが、つまり、簡単に言えば書き直しだ。

過去の記事の書き直しをしている。

「リライト」といえば、Asian kung-fu generationを思い起こさせるが、消してリライトするのはアジカンだけではない。(そもそもリライトの綴りが違う)文章を書いて食べている人、プロ。いわゆる、ライターさんと呼ばれる方々も同じ。他ならぬ素人の僕もnoteに出会ったおかげで、こうして文章を書いたり、消したりしている。

「リライトしてるんですよー」これが言えたらもうプロだ。僕は言ったことがない。

恥ずかしいので多分一生言わない言葉だと思う。

いろいろ気にし過ぎる敏感な性質か、はたまたそんな星の下に生まれたせいか、生活や仕事の中で疑問を持つことがとにかく多い。引っかかったことをメモして文章を書く筋肉を鍛えているつもりだ。この作業はシンプルに“気付き”を増やす行動に繋がる。

振り返ればnoteを始めた頃は「です」「ます」「でした」の丁寧語を使って書いている。最初の方の記事だし、これはこれで初々しくていいが、noteに慣れてきた今では、常態語で書くテンションの方がしっくりきている。調子がいい時は本当に指(筆)がノる。多少の悪ノリに近い感じがちょうど良かったりもする。

書いた次の日、やっぱりこのテーマはこの感じ(テンション)じゃなかったなーとあれこれと考えて、恥ずかしくなって投稿した記事を修正することが多々ある。昨日は昨日、今日は今日と気持ちや感情は毎日微妙に違うものだ。とはいえ出来上がった文章を読んでみると、自分でもよく書けているなと思いながら少しニヤニヤしてしまう。

昨日の自分はもういない。
毎日強くなったり、毎日くよくよしたりする。

ちなみに常態語とは

敬語を用いず、文末に「だ」「である」などを用いる普通の文章様式。 辞書を見ると、それぞれの説明は上記のようになっている。 面と向かって話すときの「丁寧語」とほぼイコールの、丁寧な文章の書き方が〈敬体〉。 逆にそのような敬語の類は用いず、「タメ口」に近い印象の文体が〈常体〉。


過去記事の文字を削ったり、足したり、言い回しを変えてみたり。リライトをしていて気が付いたことや、文章から連想される言葉や、瞬間的に思い付いた言葉を書くようにしている。

大幅な修正は今のところしていない。あくまで調味料程度の薄い味付け。また、読み手に“リズムを与える文章”があるということに気が付いた。流れるように整っている文体というか。

書いた文章を声に出して読んでみるとより深く改めて理解ができる。自分の中からでてくる言葉で紡いだ文章が妙に愛おしく思える。「この文章、本当におれが書いたのか?」と新しい力を獲得したような感覚になる。とにかく内容はどうであれ、上手いとか下手とか関係なく、頑張って書いてるじゃん!note継続できてるじゃん!と自分を褒めてあげたい。

いろいろな方々のnoteを読んで勉強している。いいなと思うところは取り入れてまず真似してみる。

『読みたいことを、書けばいい』


田中泰廷さんの著書に感銘を受けた。

結論、この世の中に文章術なんてない。というのがクールで自分にはなかった新しい目線だと思った。要は自分が読みたい文章を書いているかどうか。つまり随筆だということ。

真似している。
この感覚でいこうと決めた。

次は50記事を目指して。
毎日更新はさすがに大変だけどnoteを続けたい。

最後まで読んでくださりありがとうございます。スローペースですがまた更新します。

締めくくりは丁寧に。

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