自分が死ぬとき周りにどんな大切なことを残していきたいですか?

(2019年7月のメルマガより抜粋)

毎年この時期にこのことを書いているので、長いこと勇気づけメールを購読頂いている方はご存知のことになりますが、今から4年前の7月の3連休に実父が山で遭難し、帰らぬ人となりました。

というわけで今年も今週の勇気づけメールでは「人の死」について書かせて頂ければと思います。

遭難して帰らないって、病気で亡くなるよりも突発的な別れであるので本当に心の準備が出来ず・・

いつか見つかる、とレスキューや県警の方には全力を尽くして頂いたし、生きてる見込みがなくなった後も遺体だけでもと捜索して頂くも、結局何ひとつ見つからず。

こうイレギュラー過ぎるとその後の諸々の手続きも本人確認が厳しい時代、色々面倒で、家族からの連絡といっても最初は疑われたりと本当に4年前の夏は大変でした。

4年も経つとこうした手続きのことなどは「大変だったよね」と昔話のように語りますが「この出来事が何を自分に教えてくれてるのか」「この出来事から自分は何を学ぶべきなのか」を考えると、4年経ってもみぞおち辺りが熱くなり涙が出てくる自分がいます。

そして先日、ママコーチ仲間が病のために亡くなったとの知らせをもらいました。3年前コーチングを学んでいた時、相互コーチングをしたり、一緒に勉強会をしたりした仲の、私と同じ世代のまだお子さんも小さいママさんでした。

コーチですから未来を描き、これからやりたいことに向けて、ドンドン前に進んでいた最中だったと思うと、うちの父のケースとはまた違ったいたたまれない気持ちになります。

今、通っているNLPコースで「魂(精神)の成長」についてよくよく考える機会があります。

アドラー心理学もまた「主体論」「目的論」というのは、自分の意志をもってして、この一生をどのように魂の成長のために生きていくかに向き合うことになります。

魂の成長とは、今世、現世、来世、その果てしなく前後、という連綿と続く「生」の中で果てしなく続くものと解釈していますが、人生100年時代と言われる中、このように短くして人生の幕を閉じる方の場合、魂の成長はどう考えたらいいのかと思いました。

世の中には流産のようにお母さんのお腹の中で生を終えることも、生後幼い年齢で生を終えることもあります。

そう考えると、その子たちの魂の成長はどうなのだろう、と答えのない疑問がグルグルします。

それを考えた時、人生の中で何かを成し遂げられた!成し遂げることが出来なかった!というだけが魂の成長ではなく、【その人の存在そのもの】が周りに与える影響もまた魂の役割なのだろうと感じました。

人が亡くなると、残された人々はその方の生きてきた軌跡をふり返ります。

そしてその方が残してくれた大切なことを受け取ろうとします。

あなたは自分が死ぬときに「あの人はこんな人だったね」と周りの人から言われるとしたら、どんな風に言ってもらいたいですか?どんなことを残していきたいですか?

これを本気で考えると、自分が生きる毎日をどのように過ごすかの指針になってくるかと思います。

死ぬとき後悔しない「最高な人生だった」と言える毎日を今から一緒に創っていきませんか?

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