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苦しみを語る勇気について

昨日はアマプラのShirinkを見て、号泣しました、ゆみです。
フリーランスコーチをしています!

Shrink面白い。
Shrinkは精神疾患への患者を持った方と、その周囲の関りを描いたヒューマンドラマです。

わたしは、普段連続してコンテンツを見るというのがそこまで得意じゃないのでドラマはあまり見ないのですが、これは3話完結ということもあり、一気にみることができました!

心の病とまでいかずとも、普段誰にも相談できなくて困っていることって本当にたくさんありますよね。

自分が「悩んでいる」ということを認めることすら、本人にとっては苦しいことで「私は大丈夫だ」と言い聞かせていたりとかね。

わたしのクライアントさんも実際お悩みを聞かせてもらうと、

一言目には、「大丈夫なんですけどね」て枕詞のように入るときがあります。

その二言目にはもう息を切らすことなく20分ほどずっと話し続ける悩み、あふれるあふれる。

「そんなに、悩んでいないですけど」と前提が入るときに限って、めちゃくちゃお一人で悩んでいるパターンを何度も見てきました。

文化的によるものが大きいのは間違いなくて、「自分に厳しく生きる」ということ、何かに悩んでいる、人に頼るということを「恥」と考えることおいうことをどこかで教育の中で学んでいたのは根本的にあるのかもしれないな~みたいなことはやっぱりあるわけで。

絶対に恥ずかしいことではないと、本人に伝えても最初はやっぱり届かなかったりします。

むしろ、自分が今困っているということを開示できたことがスタートラインだなと感じるわけです

他者に今の自分の悩みを開示するということは「今自分はこれで悩んでいるんだ」ということを認めることでもあるとも感じます。

よく自分に向き合いましょう、自己対話の癖をつけましょうというのはこういうことは、

周りの教育や文化やかかわりによって、開示できずに抑圧していた思いを対話の中でことばにすることによって、

自分の中で置き去りにしていた、という思いに気づくのだとかんじたりします。

それはときに、

未来への希望や過去の経験の苦しみ、今感じている孤独、理想と現実のギャップ様々なものがあると思います。

「こんなこと誰にも話せなかった」

クライアントがやっぱりしきりに言うのは、こういうことなんですよね。

周りの目を気にして、

「強い自分でいなくてはならない」
「社会のレールから外れてはいけない」
「自分が苦しいなんて言ってはいけない」
「自分の幸せを願ってはいけない」

という言葉は、周囲にどう思われるのかが怖い、弱い自分を許せないとかそんなことがあるのかもしれない。

このnoteにも書いたけれど、苦しみを誰かに共有することは恥ではなく、解放の第一歩なんですよね。その時話すという行為自体に一時的に苦しみや悲しみが伴う人もいるけれど、乗り越えていったその先に、

「そういえばわたしは、こういう人間だったな」みたいなことを思い出して、自分の人生を歩み始めていくような気がしている。

他者の声が気になって相談できない苦しさもわたしもあった

一人で抱えていてもなにも変化は起きない。

人に話すことで、自分の苦しみを解放して、そして再生の物語に変えていくようになっていく。


「そろそろ変わりたい」と思ったときに、人は信頼できる人に話すことをし始めるんだなと感じる。


苦しみを人に話すのは、自分に向き合うことだ。


わたしはコーチだから、苦しみをただ聞くことだけじゃなくて行動も一緒にしようねっていうことは伝える。

それが人によってはしんどいことかもしれない。

それでも、一番自分の苦しくて、情けなくて、残念な部分を曝け出して、それでも前に進みたいという勇気を持つことは解放への一歩だ。

苦しみを誰かに話して、癒されるだけでは、満足するだけではもちろん現実はかわらない。

前進むために、他者に話してみることが必要だと思ったときは、話してみよう。

もう向き合いたいと心が叫んでいるのであれば、信用できる人に話してみよう。

もし、それがわたしがいいなと思った人は

伴走させてください。

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