アニメ、戦争、マンガ


道標カット07

「道標」連載の初回にも書いたが、 私がそれまでにないほど懸命に見たアニメは初代『機動戦士ガンダム』だった。ガンダムは戦争アニメである。もちろん架空の世界で、実在の戦争を扱っているわけではない。でも中学生の私にとって、怪獣や宇宙人でなく人間と人間が軍をそれぞれ組織して戦っているアニメというのはやけに大人っぽく新鮮に映った。組織の論理を押し付けられ、前線に追い立てられていく若者たち、信頼と裏切り、ぼやきと叫び、老若男女が複雑に行き来し、生き死に、毎回目が離せなかった。
 もちろん私だけではなくて、多くの若者が夢中になった。放送後に作られた映画は大入りで、社会現象になった。あまりに人気なので、新聞に記事が出た。ガンダムがとりあげられた!と喜んで読んだら「子どもたちがこんなに戦争に夢中になって、大丈夫なのか。戦争の肯定ではないか」というような内容で(どちらの新聞だったかは失念しました)やたら腹を立てたのを覚えている。ガンダムには戦争の悲惨さも描かれているし、私たちは現実とアニメの区別はついている、と。
 今になってみれば、大人の懸念もわかる。どうしたってモビルスーツ(ロボット)はかっこいいし、どのような形であれ子どもも観るアニメでは触れることさえできない恐ろしい事実は省かれている。ただそれでも、ヒーローではない市井の人々がいて、それぞれにもがいているという世界観は伝わってきた。 ガンダムの監督である富野由悠季氏自身の、子どもながらその時代を経て得た生々しい葛藤がアニメに織り込まれているというのは後になって知った。
 自分も大人になり現実の戦争について色々な知識を持っている。だがどこまでいっても自分は戦争を身近に経験した方々とは違う。
 松山で空襲にあい、降る焼夷弾を避け、姉に手を引かれ一晩中水田で震えていた父。慣れない疎開先でさつまいものツルを食べた母。学徒動員で択捉に赴任した伯父。戦場から戻れなかった大叔父。それでもアニメで、マンガで、知らず知らずのうちに受け取ったメッセージは、自分と過去をなにがしかの形でつないでくれていると思う。
 今、遠未来の戦争を描いたSFマンガ『WOMBS(ウームズ)』の番外編「クレイドル」をWEBアクションというサイトで連載している。本来戦場にそぐわない妊婦兵が戦う、その転倒した設定から、戦場にいるすべての人が実はその場にはそぐわないのではないか、そんなメッセージを感じてほしいと思いつつ、簡単にはいかない。悩みながら格闘する日々だ。


(2020年8月23日 愛媛新聞「道標」より)

注・校正前原稿を掲載しています。


追記

このあたりからだんだん苦しくなっていく。とにかく8月だから戦争の話を書こう、などという気持ちで書き始めたがために、とても大変なことになった。何度も書き直し締め切りを過ぎてからさらに新バージョンができてしまいそれも提出したうえでどちらがいいかわからず担当の方に選んでもらうというドタバタだった。結局このガンダムバージョンになった。この連載はわかったような気がしていたことを語れるほどには全然わかっていない自分の薄っぺらさを5週間ごとにかみしめるような面があった。もちろんその後も続く広大なガンダムの世界も、監督の真の想いも良くはわかっていないのだと思うが、その出会いによって自分に何が起きたかだけはなんとか知っているのであった。


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