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#15 変わり者の私らしいサッカー人生をご紹介します(後編)

1.考えるようになった大学時代

筑波大学を知ったのは高校1年生の時でした。通っていた眼科の先生に「スポーツも勉強もできるすごい人がいてね、その人は筑波大学って所に通ってたなぁ」と言われ、筑波大学に興味を持ちました。調べていくうちに国立だし、女子サッカー部もあるし、「行きたい」と強く思うようになりました。
センター試験や二次試験を受けて、一般入試で合格することができました。(入試の話はまたどこかでできたらと思っています。)

筑波大学は本当にいいところで、環境が段違いで良かったです。スポーツ系の先生がたくさんいて、施設も充実してるし、トレーナーやコーチがずっといる環境は本当にありがたかったです。(高校とは全然違う環境でした)
大学に来て変わったことは感覚でやっていたサッカーを頭を使ってするようになったことです。1年、2年生の時も頭を使ってやらないといけなかったですが、監督が大学3年生の途中で代わり、平嶋さんになりました。平嶋さんとの出会いは結構大きかったです。
戦術的ピリオダイゼーションに基づいていて、戦術を練習に落とし込むのが上手くて、今週末の試合はこういう戦い方なんだなってのがわかりやすかったです。
考えるようになって、サッカーがより楽しくなりました。

2.苦手が少し上手くなったFCふじざくら山梨でのサッカー

ふじざくらを選んだのは、プレイングワーカーでした。高校を選んだ段階からずっと言っていましたが、サッカーだけ取り組んでるのではダメだとずっと感じてたからです。
仕事もサッカーも両方極めたいという気持ちで来たふじざくらでしたが、サッカーでもいろいろ成長できたと思っています。パスサッカーは今まで全然してこなかったので、とても新鮮ですし、下手で苦手だったパスが普通くらいにはなったと思っています笑(もっと上手くなれるように頑張ります)。2人組でダイレクトでパスをするようになって、たまにミスキックで浮いてるボールが来るのでそれを処理してたら、ボレーも上手くなりました。シュートをこんな決めれるようになったのもふじざくらに来てからで、海GKコーチがコツを教えてくれたりと、苦手に感じてたいた部分が伸びてきたなと感じることが多いです。

上のカテゴリーに行ったら、注目度も高くなると思うし、もっといろんな人にFCふじざくらのこと、プレイングワーカーという選択を知ってもらえると思ってます。
今年はなんとしてでも、上のカテゴリーに行きたいです。


今回もお読みいただきありがとうございました。

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