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圓徳院

高台寺の前にありながらあまり知られていない圓徳院。
豊臣秀吉の妻、北政所ねねが晩年の19年間を過ごした地に建っており、ねねさんが秀吉との思い出の多い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築し、ここから秀吉の菩提寺として建立した高台寺に通われました。多くの大名や禅僧、文化人がねねさんを慕って集まり、文化サロンのような一面も持っていたそうです。亡くなった後に高台寺の塔頭寺院「圓徳院」となりますが、今でもねねさんが眺めたものと変わらぬ美しい庭園を残し、一年を通して多くの拝観者が圓徳院を参拝しています。

詳しく説明すると高台寺の塔頭寺院のひとつで、高台寺を建立する前年の慶長11年(1605)に伏見城から化粧御殿と庭園を移築し、新たに客殿(現方丈)を建立したことに始まります。寛永元年(1624)に寺格を持ち、寛永4年に圓徳院の名を持つようになりました。伏見城から移した庭園は北庭と呼ばれ、移築後に小堀遠州が整えたもので、北書院から眺めることができます。巨石を多く配置した珍しい造りの枯山水庭園で、庭園を囲むように植えられたモミジは、晩春から晩秋にかけて美しい青葉や紅葉で拝観者の目を楽しませてくれます。各地の大名から集められた巨石は、ねねさんが大名たちに慕われていたことをよく表しているともいわれます。
圓徳院の方丈には長谷川等伯による襖絵(重文・複製)や現代日本画家による襖絵が納められています。等伯の襖絵は元々、大徳寺三玄院にあったもので、等伯が住職の許可がないまま、その留守中に上がり込んで描き上げたという逸話が残っています。この襖絵を見るだけでも貴重だと思います。

今休まれていますが、北書院では「へうげもの」古田織部考案の武家茶点前でお抹茶をいただけます。利休の侘び茶に満足しなかった秀吉が、古田織部に命じて考案させた武士の茶道で、秀吉が大事にしたユーモアや機転、エンターテイメント性が取り入れられています。
(現在、神仏への献茶点前・楽茶碗でのお抹茶・小間の茶席は休止)
この時期だけの限定サービスとして、茶寮都路里より、圓徳院北庭でのお抹茶のご提供をされているのでお勧めです。
令和2年7月1日より、月・火・水・金 平日のみ、(木曜日が祝日の場合、水曜日を定休日)11:00~16:00、一服1000円
(天候の影響などで16:00より前に提供を終了する場合があります)

ねねさんが住んでおられたこの寺院へもぜひ足を延ばされてみてください。
今日もいい一日を。9/22

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