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病院ラジオ #10長野子ども病院編 子供たちの姿に休職中の自分を重ねる。

病院ラジオの放送を見た。

あさイチのダイジェストを見ただけでもボロボロ泣いたんだけど、本編もとっても良かった。
とにかく、子供たちが強くて、明るくて、眩しいのだ。



親になってからというもの、こういう番組を見ると「親目線」で見てしまうんだけど、今回は少し違った。
もちろん子供たちを支える親のみなさんの在り方には心底感動した。
自然体だけどちゃんと子供に寄り添っている芯みたいなものをどの家庭の親さんにも感じて、とても温かかった。

でも一番感銘を受けたのは、子供たちの姿だ。

一言でいえば、みんなめちゃくちゃしっかりしてる。
言葉も豊富で、笑わせる力もあって、実年齢よりもずっと上に見えた。


生まれつき栄養が経口補給できなくて、点滴をリュックに背負っている子。
血液のガンで、長いこと無菌室に入院していた子。
食物アレルギーがあり、辛い負荷実験を何度も行った子。
点滴が止まってしまうために、思春期だけど看護婦さんと一緒に行動を共にしなくてはならない子。

言葉にすると「かわいそうに・・・」となってしまいそうだけど、誰一人として「かわいそう」じゃなかった。
大人のわたしから見ても憧れるほど、かっこいい子たちだった。


まずすごいなと思ったのは、みんな自分の病気をきちんと理解し、正しく分かりやすい言葉で人に伝えることが出来るということ。

人に説明するためには自分で理解しなくてはいけないし、まず第一段階として病気を受け入れなくてはならない。
それがきちんと出来ているのだ。本当にすごい。


そして、みんな「将来はこんな職業につきたい」「こんな人間になりたい」など将来のビジョンが明確であること。
そして、そのことを自信を持って公の場で話せること。
なかなか出来ることじゃないし、めちゃくちゃカッコイイと思った。



何でこの子たちはこんなに大人なんだろう・・・と思っていたんだけど、きっと
毎日の日常ほど尊いものはない
人生は有限で、誰にだって明日が来るとは限らない

ことを身をもって知っているからだと思う。

県内の小児・周産期医療の最後の砦といわれる病院。
きっと自分と同じような病気で命を落としていく子の姿だって、目にしているだろう。
絶望した日も、親を恨んだ日も、何もかも投げ出したくなった日もあっただろう。

それでも子供たちは前を向き、将来を語る。

ふと、まったく状況は違うしおこがましいんだけど、休職中の自分にも重なるところがあるなと思った。


メンタルダウンしての休職。

「病気」というどうしようもない壁。
無力な自分。
何となく色々デキる方と思っていた自分が、想像以上にポンコツで、自自分とは何なのか・・・と向き合い続ける日々。


そんな毎日を過ごす中で、どうしようもない中でも気付いたことがある。


毎日食べて、歩けて、話せて、眠れるって、幸せなことだということ。当たり前じゃないということ。
そして、人生は思ったよりも短いこと。


わたしは、自分の病気をはっきりと理解し、堂々と人に話せるだろうか。
病気をあるものとして受け入れて、その上で将来のやりたいことを考えられるだろうか。宣言できるだろうか。

わたしもこの子たちをお手本にして、生きたいと思った。


弱さを、有限をしっている人は、きっと強いのだ。



今日はPMSで体調も気分もイマイチ。
仕事の話をしたら色んな想いがあふれてきて、また祖母の前で泣いてしまった。

そしたら祖母が言ってくれた。
「人生に無駄な経験なんてない。壁にあたったことは、必ず今後の自分にとって力になってくれる。だから、大丈夫。」

88年生きてきた、人生の大先輩の言葉は重い。そして、力強い。


そうなるといいな。

突っ走ってきたわたしが、自分の人生を大切にするための時間。これからも生きていくための時間。
テレビ番組にも、おばあちゃんにも、学ばせてもらっている。





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