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たとえ財政が厳しくても

私が財政課に在籍したのは係長として2002年度から2007年度までの5年間,課長として2012年度から2016年度までの4年間,計9年間です。
いろんな思い出がありますが,今日は「一番つらかったこと」。

2002年の秋,異動後初めての当初予算編成が始まりました。
バブル崩壊後の失われた10年の真っただ中,厳しい財政状況のもと,とにかく無駄な経費を削減し歳出を絞れと厳命が下り,当時は枠予算制度導入前でしたので,担当する局のすべての事業をヒアリングし,すべての経費の根拠を確認し,その要不要,適否,金額の多寡を判断していく,気の遠くなるような作業量をこなすのに毎日深夜まで残業することになりました。

膨大なヒアリングの結果を査定案に反映し,満を持して臨んだ初めての課長査定(福岡市では,係長と係員がペアで作った査定案を課長に説明し,課長が一時的な査定を行います。その後,局部長査定,市長査定という風に段階が上がっていくことになります。)。
私は,港湾局の経常的経費(日常的に使用する,政策判断を要しない経費)を担当していましたが,あろうことか査定案の大半を占めていた港湾維持費で「数字の詰めが甘い」とダメ出しを食らい,再審査を受ける羽目になりました。
当時,私の査定案は要求額に一律にカット率をかけて算出したものが多く,その根拠を課長から問われて説明ができなかったというのが再審査の理由でした。
私は再審査に向けて,港湾局からありとあらゆる資料を取り寄せ,自分なりの査定理論を構築し,当初の査定案から大幅に支出を抑制できる案を編み出して無事再審査を乗り越えることができました。

ここまでの過程も血反吐が出るほどしんどかったのですが,本当に一番つらかったのはそのあとのことです。
当時,福岡市の予算編成では通常,局長・部長の査定まで終わったものを年明けに予算要求局に提示し,予算要求局がその内容に不服がある場合に復活要求を市長まで上げていくという流れなのですが,経常的経費は政策判断を要しないため,復活要求を認めていませんでした。
その経常的経費の査定内容を言い渡す日,私から港湾局の財務担当者に対して,事業ごとに査定額とその理由,根拠を説明していくのですが,頁をめくるにつれて担当者の眉間にしわが寄り,表情が硬くなっていくのがわかりました。
相当厳しい査定案になっているのでやむを得ないと思いながら,あれだけ資料をたくさん整理してもらい,遅くまでヒアリングに付き合ってもらったのに,申し訳なかったなあなどと胃が痛むような思いをしながら言い渡しを終えると,港湾局の財務担当係長はぶぜんとした表情で「あとで現場から電話があるかもしれません」とだけ言い残して帰っていきました。

そのあとです。港湾局の施設を管理する担当課の係長から電話がありました。
決して声を荒げるようなことはありませんでしたが,明らかにご立腹でした。
査定が厳しすぎる。どうしてそんな理屈になるのかわからない。これでまともな施設の維持管理ができると思っているのか。事故が起きたらお前はどう責任をとるんだ。1時間くらい電話口から繰り言を聞かされました。
その中で私が本当に申し訳ないと思ったのは彼の一言でした。

「どうして,この金額でやれるか俺に聞いてくれなかったんだ」

財政状況が厳しいのは現場だってわかっている。
その中で毎日使う施設のお守りも待ったなしのギリギリのところでやっている。
そのバランスをどこで取るか,どこまで耐えられるか,どこが限界か,予算編成の過程で聞いてくれたら,こっちももう少し考えることができたのに,言い渡しでいきなりこの金額を言われては,対処のしようがないじゃないか。
お前は金額を査定するところで終わりかもしれないが,俺はこの金額で1年間現場を預からないといけないんだぞ。
なぜもっと早くきちんと相談してくれなかったんだ,と。

正直に言うと,厳しい査定案を途中で提示したら,現場からの巻き返しがあってまた課長との再調整をやらなければいけないので,言い渡しまで黙っておこう,という考えが私の中にありました。
相手のことを信用せず,自分が勝てる土俵で相撲を取って自分の査定案を飲み込ませることを,勝ち負けのあるゲームであるかのようにふるまっていたことを心底恥ずかしく思いました。

どれだけ後悔しても,一応のプロセスを経て言い渡した予算は変更することができず,当時の港湾局にはその後大変ご苦労をおかけしましたが,くだんの係長の辣腕でなんとか事故を起こさずに1年間を過ごすことができました。
その後,普段から密にコミュニケーションを図り,現場も見せていただき,翌年度にはお互いに歩み寄れる金額での妥当な査定に至ることができました。
この時のことを思い出すと,今でも胃の中からすっぱいものがこみあげてくるあの日の記憶がよみがえります。

当時,財政課長がいつも言っていたことがあります。
「財政(状況)が厳しくても,財政課が厳しくなってはいけない」
厳しい財政状況だからといて,その厳しさをそのまま査定で現場にぶつけるのではなくて,厳しい財政状況を現場にも伝え,理解してもらい,同じ危機感の中で現場にきちんと考えてもらい,最もよい予算計上の方法,予算の使い方,仕事の進め方を一緒に考えていく,その相談を受けることができる財政課であらねばならない,というのがうちの課長の信念でした。

港湾局から1時間の電話を受けたことを課長に報告したところ,笑いながらこう諭されました
「そうやろ?俺も思いよったよ。大丈夫かいなって。俺たちは査定するところまでやけど,現場はそれを使って仕事するんやから,現場が使える金を渡さにゃ」
「課長,それ,査定の時に言ってくださーい(涙)」

この時の経験が,私の財政課人生のベースになっています。

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