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炭鉱のカナリア

どうして怪文書なんか撒いたんだ
組織の和を乱す者は許されないって
幹部のお前が知らないとは言わせない
キジも鳴かずば撃たれまいというのに
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
一連の兵庫県庁問題は単なる知事のパワハラではなく、本来あるべき行政の姿が歪められたことが問題だとの認識でこの事案に関する報道を注目していましたが、3月の告発以降に告発者に対して行われた行為が明らかになるにつれ、これこそがまさにパワハラそのものであり、このような暴挙が行われる組織風土そのものに大きな問題があると感じるに至っています。

全容が明らかになるにつれてわかってきたのは、告発者が当初暴露した7つの疑惑よりも酷い、ここで報じられているような告発者への異常なまでの攻撃性です。
執拗な犯人探し、公益通報制度をねじ曲げるような懲戒処分、そしてその過程で行われた告発者のプライベートに関わる情報を縦にした過剰な圧力を見れば、この異常な攻撃を受け、告発者が自死を選んだとどうしても見てしまいます。

中でも特にひどいと感じるのが、捜査過程で得られた私的情報の漏洩疑惑です。
この問題が明るみになってずいぶん経ちますが、このことが告発者の自死につながったとも言われているにも関わらず、兵庫県は本件についてようやく調査することにしたとのことで、あまりにも対応が遅いと感じます。
 
この件を含め3月の告発以降の兵庫県当局の対応には、告発者の人権を擁護するという観点が全く欠落していると言わざるを得ません。
刑事捜査であれば規定されているはずの被疑者人権擁護のための手続きが全く取られておらず、捜査方法やその姿勢には戦前の特高警察のような犯人を人間扱いしない高圧的で独善的な思想すら垣間見えます。
兵庫県の職員懲戒処分の手続き規定はどうなっているのでしょうか。
その手続きを所管しているはずの人事部門においてこのような人権蹂躙の粗暴な振る舞いが行われたということをどう総括するのでしょうか。
知事ではなく兵庫県庁としてしっかりとけじめをつけなければ職員は今後安心して働くことができないと思います。
 
当初の告発内容だけであれば、全国の自治体で散見されるパワハラ案件、グレーな行政運営案件のひとつとして火消しを行うこともあり得たかもしれませんが、告発者の自死という衝撃的な結末とそこに至る顛末を知れば、ことここに至ってはもはや沈静化は不可能でしょう。
振り返ってみれば告発そのものよりも告発を受けた後の犯人捜しやその後の拙速な処分などの対応の不味さで兵庫県庁の暗部が白日の下にさらされ、馬脚を現してしまった感があります。
 
しかしながら、職員の人権を全く無視して組織防衛に走ったこの不味い対応については、知事とその側近の性格異常、パワハラ気質のせいだとすることも可能ですが、私はそこにまだ疑義をもっています。
どの組織でもトップやその側近たちが自分たちに向けられた内部告発を受けてこのような振る舞いをしてしまうことは十分にあり得ますし、その犠牲になるまいと職員が内部の悪事を知っても告発できず、結果として公益を保護できないという問題はどの組織でも起こりうるリスクなのだということを私は改めて実感しています。
私たち自治体職員が、トップや官房の発する内向きな組織論理のなかで市民の期待に反した行為に手を染めてしまうのは、行政運営のブラックボックス化、役所の中で起こっていることが外に知れ渡ることがない、あるいは極めて少ないという状況下で起こりやすい、つまり「ばれなければ存在しないのと同じ」という悪しき価値観がその温床になると前回書きました。

この闇を照らすのは「悪事は必ずばれて捕まる」という透明性と捕捉性の担保です。
どんな小さな悪事、たくらみ事も、必ず議会、市民のチェックの目が入り、その判断の妥当性が白日の下にさらされるという状況下で、今回の事案が起こりえたのかどうか。
とはいえ、市民や議会が役所のやることを四六時中監視しておくわけにはいかず、一定の信頼を以て任せておかないとチェックする側もされる側もお互いに労多くして実りはありません。
では、市民や議会といった役所の外側から行政組織内部の不穏な動きを察知する方法はないのでしょうか。
また、私たち自治体職員が内部の不穏な動きを察知した時に、安全にそのことについて外部にアラートを発信する方法はないのでしょうか。
 
兵庫県の事案が報道され始めて以降、ずっとこの問題を考えています。
内部からの公益通報を実効ならしめる仕組みとして第三者性を確保すること。
ハラスメントの起こる原因やハラスメントが起こりにくい組織づくりについて研修を充実し行政運営そのものに人権擁護の意識を根付かせること。
ハラスメントがもたらす行政運営の歪みについて警鐘を鳴らし、選挙その他の有権者からの関与によって首長や議会の意識を正すこと。
いろんなことを考えてはみたものの、そのような制度、環境が完備されるまでこの問題を放置しておくことはできません。
 
そこで今できることとして考えたのが、私たち自治体職員が「炭鉱のカナリア」になることです。
この言葉は、石炭を採掘する炭鉱夫が炭鉱に入る際に、炭鉱において発生するメタンガスや一酸化炭素などの毒ガスを検知するための目的でカナリアを鳥かごに入れて連れて行った歴史に由来します。
カナリアは無臭のガスにも敏感に反応するので、常にさえずっているカナリアが鳴き止んだ時、炭鉱夫たちは有毒ガスの危険を察知し、命を守ることができた、というものです。
私たち自治体職員は、自治体組織の「中の人」として市民の行政運営を読み解く力を向上させる役割を担っていることや、自治体の中と外をつなぎ、市民と行政、あるいは市民同士の「対話」をつなぐ橋渡し役であることを常々書いてきました。

これは何か特定の制度や仕組みを構築するという大げさなものではありません。
私たち自治体職員一人ひとりが役所の外側にいる誰かと「対話」ができるようになるだけ。
自らの内心を開き(もちろん職務上知りえた秘密を公表するというのは違法ですが)役所の中で起こっていることやそこで感じている日々の感情について語ること。
そして役所の外側にいる誰かから、今、外側で何が起こっているか、役所がどのように見えているかをありのまま忌憚なく、自分の所管ではない情報も含めて耳を傾けること。
これが日々の暮らしで当たり前にできていれば、まずは「言いたいことを発言できる」という心理的安全性を測る「炭鉱のカナリア」になれているのではないかと思うのです。
 
役所の中と外を結ぶ日常的な「対話」がもし仮に滞ったとしたら、それは「気軽に話せる環境ではなくなった」「話せない内容を知ってしまった」「話すなと口止めされた」というような心理的安全性に関する変化があったかもしれません。
もちろん、それ以外の事情で滞っているだけかもしれませんのでまずは「最近、どうしたの?」と声をかけてさえもらえればいいのです。
役所の内外のあちこちで対話のさえずりが絶え間なく聞こえている間は、そのさえずりを妨げる心理的な不安や具体的な抑圧がないと判断し、そのさえずりが途絶えてきた際に、何かあるのかもしれない、と具体的な事案に目を向け監視の目を光らせる。
むしろ、そのような「対話」のさえずりを絶やさず、職員一人ひとりが市民、県民と直接つながり、日々の意思疎通、情報交換を行っている風通しのよい環境であれば、逆にそう簡単には隠し事や秘密のたくらみはできない、とトップや官房たちも思い至るでしょう。
さらに進んで「炭鉱のカナリア」を殺さぬように有害な物質を除去し、常に内外の風通しを良くすることについて組織的に対応するようになればしめたものです。
 
自治体職員の皆さんにお尋ねです。
あなたは役所の外の誰かにあなたの日々のさえずりを聴いてもらっていますか。
そのさえずりを聴いてもらう関係性が、万が一の際にあなたを助けてくれます。
自治体職員以外の方にお尋ねです。
あなたは役所の中の誰かの日々のさえずりを聴いていますか。
その音色を日々楽しみ、その変化に敏感であることが、あなたの自治体の変化を敏感に感じ取ることにつながります。
SNS隆盛の今、「対話」のさえずりを奏でる場や機会も多様になっています。
こうした「対話」がつなぐ連帯が私たちの安全を守り、健全なまちを創るのだと思います。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
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