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財政課長ついに鎧を脱ぐ

2008年の渡米研修から2012年の禁酒令,そしてオフサイトミーティング「明日晴れるかな」のスタートまで,私と「対話」の関係性を巡る時間旅行におつきあいいただきありがとうございました。
しかし読んでいて腑に落ちないのは今日のタイトルにもある通り,私が財政課長として「対話」ができるようになったのはどういうきっかけなのかという点。
本に書きたかったのですが少し長くなるので端折った経緯をご紹介します。

私は2012年4月に財政課(福岡市では「財政調整課」という組織名称です)に課長として戻ってきました。
係長として5年の奉公を終え「財政課をぶっ潰す」と後輩に遺言を託して卒業した2007年の春からちょうど5年経っていましたが,財政状況の厳しさは相変わらずで,私が恨めしく思っていた現場との対立構造も庁内での絶大な権限も変わっていませんでした。

おまけに,4月に着任した私には,2012年度中に「財政健全化プラン」なるものを策定せよという重大な任務が課せられていました。
今後の中長期的な財政見通しを踏まえ,収入と支出のバランスをとり健全に財政運営を行っていくための計画づくりは,どの施策事業を見直して経費を圧縮し,あるいは収入の増加を図り,収支の均衡を図っていくか,ということを全庁的に調整し,実現可能な収支不足解消策を立案するという大変厄介なものです。
施策事業の見直しには関係する部局や市民,議会の十分な理解が必須であり,2012年のプラン策定に際しては,市長の指示により議論の透明性を確保する観点から完全公開型の有識者会議を設置し,そこで基本的な考え方や具体的な案を検討していただくこととしていました。

たまたま,この有識者会議での議論がスタートする直前に「禁酒令」があり,オフサイトミーティングが始まりました。
私は財政課長という立場を離れ,職務としてではなくひとりの職員として職員同士の対話の場を開き,そこに参加することになりました。
そして,昨日までの投稿でご紹介した経緯で,禁酒令の1ヶ月が明けたあとも「ゆるーい対話の場」を開帳し続けることになったのです。

私は禁酒令の期間中,オフサイトミーティングの開催告知やその結果の共有,あるいは禁酒令にまつわる様々な意見の紹介などを個人として職員専用の掲示板とfacebookの市職員専用グループに投稿し,情報を発信し続けていました。
今の私から見れば信じられないかもしれませんが,当時,禁酒令以前には個人の意思を公にすることに抵抗感があり,ほとんどしたことがなかったのが,禁酒令という非常事態に投稿が常態化したことで感覚がマヒし,それが日常になってしまったのは私にとって立場や体裁という「鎧を脱ぐ」ことができた貴重な機会だったのだと今振り返って思います。

禁酒令が明けた後も定期的にオフサイトミーティングを開催し,職場や立場を超えた自由な対話の場に身を置いていると,ちょうど並行して公開で行われている有識者会議での財政健全化の議論が話題になることもあり,有識者会議で積極的な情報公開と職員,市民の巻き込みが叫ばれていたこともあって,オフサイトミーティングやメールで市職員から市の財政状況や予算編成の手法を巡るご質問や辛辣なご意見をいただくようになりました。
また,私自身も有識者会議での議論をわかりやすく伝えるために,掲示板の投稿で各委員の意見概要やそれに対する財政課の考え方を個人の立場で投稿することが増えました。

オフサイトミーティングでも財政の話題になると,職場や立場を超えた対話の場と言いながら財政課長としての身分をまったく捨て去ることはできず,質問されたことは答える,意見に対しては真摯に向き合うということをせざるを得なくなりました。
特に,この頃のオフサイトミーティングでは財政,人事,企画といった官房部門への愚痴が多く,市役所組織の風通しに閉そく感を感じている人が多かったこともあって,そんな中で職員同士が何でも話せる対話の場を始めた言い出しっぺの自分が「組織としての見解はしかるべき時に示します」「それは仕事の話なのでタブーで」とは言えなかったのです。

私自身の語る言葉は,私個人の見解でありながら,それは財政課長である私の見解でもありますから,課長として話すからには組織としてきちんと見解をまとめる必要があり,その内容も組織的に協議や決裁で確認していく必要があったかもしれません。
しかし私は,5月21日の禁酒令以降,多様な職員が集う対話の場で自分から胸襟を開き,誰とでも真摯に向き合って対話することができるようになったという経験のなかで,財政課長である私が個人的な見解を述べることができるギリギリのところでオフサイトミーティングや掲示板で意見を述べる術を身に着けました。
私はいつの間にか,財政課長としてかくあるべしという「立場の鎧」を脱いでいたのです。

そしてその日は必然的にやってきました。
当時行財政改革を進めるにあたって全職員に対するアンケートが行われたのですが,このアンケートでいただいた意見からも、福岡市の財政状況や今後の見通し、現在の予算編成の仕組みなどについて、職員の皆さんに対して、これまで十分な情報提供ができていなかったことを痛感していました。
そんなある日,有識者会議で使用した市の財政状況を説明する資料を職員専用掲示板に貼り,なぜ財政健全化に取り組まなければならないかを説明する投稿をしたところ,ある出先機関の女性職員から「資料だけではわかりにくいので,説明してくれたらうれしい」とメールをいただきました。
そこで、私はひとり思い立ち,職員の皆さん向けに「財政に関する出前講座」を開催することとしたのです。

財政健全化に向けた各職場での取り組みの必要性を職員一人一人に理解してもらうために,という目的は当然ありましたが,むしろ職員同士の対話の場で常に感じていた,職員のなかでくすぶる官房部門への不信や不満と向き合わなければ,という覚悟が固まった瞬間でもありました。
官房と現場との対話不足が嫌になって「財政課をぶっ潰す」と遺言を残して5年。
その間に渡米研修で対話の何たるかを学び,帰国後スポーツ振興計画の策定過程で仕事の中に対話を取り入れ,財政課に舞い戻ったタイミングでの禁酒令発布により衝動的に自ら対話の場を作る羽目になり,そこでの対話で改めて財政課と現場の対話不足,情報の非対称を知ることになり,一方で厳しい財政状況を乗り越えていくにはこの危機に対する職員の理解と共感,協力が不可欠だという思いが日に日に強まっていたあの頃。
あの日彼女からもらったメールで,すべての点が一つの線につながったのです。

★「自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?」について
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