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顧問は神様だと教わる部活動

表題通り、顧問の先生は神様だと思え、と
先輩より習った。
宗教的なクラブ?
いえ、とある高校の全国大会を目指すダンスクラブです。

簡単に言うと、
甲子園を目指す弱小高校のクラブが、予選は自動的に毎年合格し、全国大会という甲子園に毎年出場していた、
たったそれだけのクラブである。
つまり、戦う一番始めは大ホールの大舞台。

ただ、甲子園と違うところは、ダンスの全国大会は夏しかない。という残酷なところだろう。


部活には顧問の先生が必ずいる。学校の先生をしながら、クラブも見てくれる顧問。
ただ、私のダンス部の顧問は、センスがあったらしい。
何度も全国大会で様々な賞をもらった事がある、実力と権威の持ち主だった。

ただ、私が入部する2年前に入院し、戻ってくるか微妙だったところ、顧問は戻ってきた。
その空白の2年もの間、
過去に賞を取らせた顧問に教わりたい、と戻ってくるのを期待していた先輩達は
あの顧問の先生は神だと思え。」と言ってきたのである。

(阿修羅~反抗・苦悩そして懺悔〜
         福岡大学附属若葉高等学校)

部活の思い出。
そうだな、
もし生まれ変わったら、絶対に入部はしないだろう。

神様の前では絶対に笑うな、
先輩が出口に向かったらドアを必ず開けなければならない、
座る位置が決まっている、
神様と話してはいけない、
合宿のお風呂は5分以内
伝統ある事は全てやらないといけない、
・・・もっとある気がする、、。笑

色々な先輩からの無駄すぎる欲求は、
"自分もされて嫌な思いをしたから、後輩にもする"
といった、負の連鎖ばかりだった。


元々、よく笑う私は一番初めに先輩に目をつけられ、「へらへらするな」と言われまくった。
別にへらへらしてる訳ではない。
何度も言うが、元からよく笑う性格なのだ。
そして、顧問が面白い事を話すから、リアクションとして笑う。
むしろわざと笑わないほうが失礼だ、という私個人の価値観で動いていた事が、先輩方は嫌っていたんだろう。

先輩がどう思っていたかは解りかねる。
そもそも、私自身が可愛くない後輩で、本当に性格がねじ曲がっている、指示を聞かない後輩に見えていたからだろうかーーー?

ただ、顧問には"目の付け所が良い"と何故か気に入られ、1年なのに意見を言わさせられたり、たまに近くに呼ばれた。
それが、また先輩をイラつかさせる。笑
だって、顧問と話したらダメだから。笑
ダンスの実力があれば、それは有無を言わずに嫌われなかったかも知れないが、残念ながら私はほぼ初心者だった。

("Fight Liberty" ―チャップリンの演説より
            新潟明訓高等学校)

私がクラブに属して良かった事は
①根性がついたこと
"絶対に屈しない"
"言われたこと以上にして、見返す"
先輩への当て付けだったとも言える。

②緊迫した雰囲気に慣れる
毎日、時間に追われて遅かったりタイミングが悪かったら怒られる環境に、身体が慣れてしまった

③マネジメント力
2年生秋からは神である顧問の、顧問的仕事を生徒が請け負っていた。
きっとこれは普通ではない。

私は会計と衣装係だったが、
クラブ員の親御さんに渡す請求書・領収書の作成
全国大会の費用全ての管理(100万単位)
銀行での入出金
後輩のクラブジャージを業者に手配
全国大会の衣装を発注、管理など

会計の顧問は他にも居たのだが、神様はその顧問を信用しておらず、私に全て投げてきた。
でも会計の顧問の印が必要な為、休み時間の間に隣校舎の職員室までダッシュ。
だってクラブ活動時間には、そういうことは一切してはいけないルールだったから。

そう、つまり
ダンスクラブなのにも関わらず、
ExcelやWord、季節の挨拶などの言葉や、
企業との電話対応、目標に向けての時間配分設定など
新入社員が学びそうな事をやっていた
のだ。

ただ私は身につかなかったことがある。
謙虚である事だ。
きっと、どんな理不尽な事を言われても犬のように付いていく精神があれば、きっと身についただろうと思う。
けれど、身につかなかった。
これは、今なら思うが、あの時に一番手に入れるべき能力だったと思う。

(あなたは私の一部です殻
神奈川県立座間高等学校)

そんなもんだから、努力の方向を間違え、ダンス能力は伸びる事は余りなかった。
私の代は、華の○○世代の逆バージョン、
華の無さ過ぎる世代、だった。

でも、今になって思う。

あの時の先輩からのキツすぎる無駄な行為があったから、新入社員で入社して、何を言われても痛くも痒くも無かった。
メソメソ泣いたり、先輩に対して理不尽だなんて思うハードルは相当低かったと思う。

今になって思う。

サービス業しかした事が無いのに、タイピングは早いし、
社内や社外に渡す紙の作成は習わずに出来たこと。

今になって思う。

何かしらの望んで欲しいものがあれば、それに伴う犠牲がついてくる事を、高校生時代に学んでいたこと。

(青壁の九龍 光ヶ丘女子高等学校)

私の代は8人居たが、今でも連絡を取り合うのはたった2人しかいない。あとの5名とは会う事はもう無いだろう。

だけど絆はある。
これだけは、切っても切れないほどの分厚すぎる絆。
あの3年間を共に苦労しながら乗り越えたという絆。

そもそも8人みんな、色があって各々想いが違っていた。
だから、今になって連絡を取らないのはかえって良いことだ、と思う。
だって、あの3年間で、家族よりも共にした仲で
今更、気を使って連絡をするなんて事、
そんな事、きっと無い。
仲良しクラブでは無かったから。


私の代からは、変な規則は大体なくし、無駄な事は後輩にさせない様にした。
おかげで、今は楽しく和気藹々とダンスに打ち込め、ダンスの能力を磨き上げているだろう。
最近、メディアに取り上げられているのをネットでよく見かけるから。

そう
私達は何年も続くクラブ活動の
改革をしたナポレオン世代だったのだ。


ペンは投げられるわ、頭は叩かれるわ、毎日の洗濯物の量は半端なかったし、
いろんな事があったけれど、家族や友達に支えられながら、
入部して3年間続けられて良かったなと思う。
そして、共に戦った支えてくれた同期が7人も居て良かったなと思う。

私の高校生活は楽しかった。

ダンスの道に進んでいる同期の部長、1つ下の後輩部長、諦めずに世界へ羽ばたこうとしている後輩達の、更なるご活躍を期待して。

また、所属していたダンスクラブの更なるスキルアップと、通っていた高校の更なるをご発展を祈って。

そして、全国の顧問の先生の慰労に感謝して。


チョコレートに牛乳


写真は全てネット(AJDF公式)から頂戴しました。
ダンスといってもヒップホップやバレエだけじゃない事を知っていただきたく載せています。
私の独断と偏見で選出していますが、ご了承下さい。

表題の画像は(大地讃頌 立教女学院高等学校より)

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