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【隠れ毒親】フェーズの移り変わり、2018年、2019年、そして2020年

このnote↓

その記事に付随して細かく書いてみようと思い、
「隠れ毒親」をシリーズ化。
しかも、「音楽する人の為の母娘についてのこと」でくくって。
なんで、こんなことを書くのか。
晒して恥ずかしくないのか。
そう思われる方もいらっしゃるかもしれない。
誰の役に立つかはわかりませんが、
私の書く理由としては、
・同じ経験をしてる人の代弁になればいいな
・同じ事で苦しむ人が減ればいいな
・自分がこういう事を次世代に繰り返さないために
この3点です。

親子関係で苦しむあなたへ(有料note)」も
併せてご覧いただけたら幸いです。


さて、今日の本題。

年ごとにフェーズ(局面)は変わっていくとのいうお話。
冒頭にもあげた、noteの記事、
2018年はアレクサンダーテクニークを習い始めた事をきっかけに、
自分の身体の動きの癖から、
自分の過去の環境の異常性に思い切り気付いたのでした。
それは2018年の夏。

それから2019年は、生きづらさの原因を紐解き始め、
一個一個、
「私はあんな風に言われた事が悲しかったんだな」
「これは今の出来事ではないから大丈夫」という確認作業。

やりたい事があっても
身体が動かないのを
自分では怠け者を思ってたけど
そうじゃなかったんだ、あれは極度のストレスに
晒されてたからだって解ったのは、もう30代後半。

しかし、
ふとした瞬間や出来事、風景に
過去に感じてた事が思い返されるようになりました。
いわゆる、フラッシュバックというものです。

服を一つ決めるのも、
「親はなんて言うだろう?」
「『何その色?似合わないわね』って貶されるんだろうか?」とか思い出しちゃう。

買い物するにも
「金食い虫」って言われたの思い出して、買うのやめたり。
(お金に関するブレーキがとにかくかかりまくる)

小さい子の涙を見て、
そういえば、大人になってから原因不明の涙が突然流れた事があったなぁ、とか(相当、強いストレスを日々、浴びていたのでしょう)

今の時期だと、
受験用の問題集をみると思い出すのが、
受験生(中三)の時に勉強以外で親の思い通りの行動を取らなかったら
玄関から、予め取り寄せていた願書や高校別の問題集や高校の情報集(電話帳みたいな分厚い本)を投げ出されたのを思い出したり。

「良いな、素敵だな」って、人の演奏を聴いてて思っても
ちょっとしたミスに無性に反応してしまうのは、
横でものすごくダメ出ししてた親がいたからだろうな。
自分もミスすると、全部が台無しだって気持ちに
いまだになります。

そんなフラッシュバック。
でも今はネガティブに捉えてなくて
「あぁ、過去の自分はこれで傷ついてたんだな」という観察になってます。

どんな事も親の想いを基準に決めてた過去。
状況にばかりアクセスされて、自分の気持ちは蔑ろにされていた。
自分で決定できるなんて思って生きてなかったから
自分の軸はまだまだふにゃふにゃですけれども、
過去の出来事(感情)を思い出しては吐き出して(メモやツイッター)
生きづらさの原因を紐解いて、
頭と感情の整理整頓に努めてました。

そんな2019年でした。

さて、2020年は?
それらを踏まえて
今年は自分の心の再構築の年かな、と思います。

人や自分へのダメ出しの変わりに「素敵探し」
滑稽かもしれませんが、
道ゆく人の「素敵なところ」を脳内で褒めたりしてます。
「素敵なマフラーだなぁ」
「口紅の色、良いなぁ」
「綺麗な言葉遣いだなぁ」等。

あと、対人でイラッとしたら、
一旦、その人にもバックボーンがある事を思い出す。

それだけで本当に不思議とストレスが減って、冷静で心穏やか。

2020年は、
自分の軸で選択して、
自分の人生の中心は自分で。
豊かな自己肯定感を育めればな。

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