山手肉弾電車決戦


息を吐くと、白く煙になった。

始発の東京駅。珍しく、今日のホームはこの時間から超満員だ。

「緊張してるのか?」

俺の相棒のライジングサン山本は、くっ、と白い歯を見せ笑う。その大胸筋は破裂しそうなほど漲っていた。

筋肉発電…正確には人体筋電拡幅発電、が実用化され今年で119年。そして車掌とボディビルダー2人によって走行する『肉弾電車』が世界最初に運行されて丁度100年。

だが記念すべき肉弾電車生誕100年、晴れの日の始発電車の車内に乗客は一人も居なかった。

『肉弾電車』は車掌、ボディビルダー、その2人で『バディ』となる。そして『バディ』にはランクがあり、最上位のランクの『バディ』には無上の栄光と神域の職人プロテインが与えられる。

そしてその最上位ランクに至るためには、勝利しなくてはならない。

電車と電車のレース、『肉弾決戦』に。

俺が横を見ると、同じく池袋方面を向いた車両が人集りのホームの先に見えた。そして運転席の車掌と目が合った。

それが今日の『生誕祭戦』対戦相手の二階堂口子。お嬢様育ちのいけ好かない車掌だ。上流階級の嗜み、というやつで車掌をしている類の輩。負けるわけにはいかない。

「じゃあ、登るぜ。」

作戦もレースへの不安も一言も口にせず、相棒のライジングサン山本は車体のルーフに登った。そこがボディビルダーの定位置だ。ビルダーはそこで電車を動かす電力を生み出すため、ポーズをし続ける。

ルーフに登った山本は相手のビルダーに軽くダブルバイセップスし、挨拶をした。

二階堂の電車のルーフの上にいるのはメイド服の老婆だ。だが山本のバルクの入ったダブルバイセップスを一目見ると、にっ、と真っ白な歯を見せて笑う。

すると次の瞬間メイド服が弾け飛び、引き絞られた注連縄の如き筋肉が朝日を浴び、磨き抜かれたルーフよりも鋭い光を放った。

藤堂麻里子。日本国内最高齢ビルダーにして、その頂点とも言われる伝説の女性だ。二階堂口子の教育係でもある。

彼女らはまず間違いなく日本最高峰の『バディ』だ。それも、素晴らしい環境で育ち、強い信頼関係で結ばれた。

俺は、俺と山本は、最底辺の更に下。俺は車掌となるための正規の教育を受けていない。山本は3日前ジムでスカウトした。

笑えてくるほどだ。だが、成り上がる。

「勝てるよな!山本!」

俺が大声でルーフに呼びかける。

「関係無い!」

ライジングサン山本はオリバーポーズを、朝日に放った。

「俺の筋肉が最もデカい!最もキレてる!最も、最も美しい!それだけ!それだけだ!」

そうだ、山本。そうだ。俺は睨みつける信号が青になった瞬間、アクセルを全開にした。

モーターから伝わる力強いレスポンスが電車を前へ引っ張り、旅客運用ではありえないGが電車にかかって、ミシリ、と不気味な音が響いた。

電力は、衰えない。ルーフの上で、急激に筋電を吸収された山本はGにも倦怠感にも負けず、全力のポージングを続けているということだ。

「山本ォ!最高にキレてるぞ!!」

ぐんぐんとスピードがあがり、どよめきの残る駅を抜けて最初のカーブ。運転手のブレーキの技量、ビルダーの体勢維持、両方の難所だ。

ぐんっ、と、かけたブレーキ以上の減速が起こる。山本が体勢を崩し、エンジンブレーキがかかったのだ。悪態をつきそうになるが、堪える。スタートダッシュの有利があるし、向こうもこのカーブで減速しないことは有り得ないからだ。

だが、それは余りに、いや並の『バディ』相手ならば、その考えで良かっただろう。だが、二階堂藤堂ペアに対しては甘すぎた。

複線の内側を、大地に根を張るかのように深く足を開き、広背筋に段々の影を刻むビルダーの背中が見える。つまり、二階堂の電車に抜かれたということ。

馬鹿な!

このカーブをあの速度で抜けるなど、物理的に不可能なはず。だが抜き去る時の運転席の二階堂は、無表情。まるでいつもの旅客運行をしているとでも言うように、こちらを一瞥もせず、はるか前方へ進んでいく。

追いつけない。嘘だ。そんなに遠いはずがない。俺は。

「速度を上げろぉ!!」

ルーフからライジングサン山本の声がする。俺ははっと気づいて、アクセルを上げた。しかしカーブの差、そして復帰の遅れから車両の距離は埋めがたいほど開いてしまっていた。

アクセルを握る手にじっとりと汗を感じる。くそっ、と悪態をついたが何も変わらない。また戻るのか?闇肉弾で日銭を稼ぐ日々。表の奴等、舞台の上の奴等をただ眺めるだけの日々。自分の魂が、自我が、何か信じていたものが少しずつ摩耗していく日々に。

「速度を!!上げろぉぉ!!」

ライジングサン山本の怒号がルーフの上からする。だが、今まさにフルスロットルなのだ。叫んでも筋肉量は増えない。ならばもう終わりだ。

「終わりだ、山本。」

俺は負けをライジングサン山本に告げた。

「ふざけるな!!俺は!!俺は!お前が一番速いと言うから!!ここに居るんだ!!」

こいつは俺がジムでフカした嘘を信じているのか。脳みそまで筋肉なのか?そんなに速いやつが、深夜のジムでパートナーを探すと思うのか?

「お前が!お前の速さを信じられないなら!!俺の筋肉を信じろ!!最も美しい筋肉を!!!」

俺はキレた。ふざけてるのはどっちだ。

「うるせぇ!山本!!手前の筋肉なんざ並だ!!!普通なんだよ!!体が及第点で頭悪そうで騙せそうだから選んだんだ!!!」

しまった、と思ったが同じぐらい、どうでもいい、とも思った。

しかし山本の返答は予想外のものだった。

「馬鹿はどっちだ!!俺は!そんな事とうに知っているぞ!!!」

ライジングサン山本は、中天の太陽に向かって、堂々とモストマスキュラーを決めた。

「だが俺は!!俺を信じる!俺が最もデカいと!!最もキレてると!最も美しいと!!お前が!!お前が最も速いと!!」

ふざけてやがる。本当に脳みそまで筋肉だ。だから、だからこそ、脳みそまで筋肉なら、筋肉量で負けるはずがないのだ。本当に馬鹿みたいだ。

「くそっ!!山本ぉ!!」

「ウオォォォォ!!!」

山本が最も自信のある広背筋を強調するオリバーポーズを取ると同時に、俺はアクセルを保持したまま電源ケーブルを1本引き抜き自分に接続し、サイドチェストの体勢に入った。

「俺はキレてるかぁ!?山本ぉ!!」

「バルクが深すぎて大江戸線かと思ったぞ!!!」

「山本こそ胸筋じゃなくて車両基地か!!?」

向こうは超一流のビルダー1人分の電力だ。並のビルダーでは通常運行で引き離されるほどの大出力。だがこっちは一流のビルダーに三流のビルダー未満の電力、一応は2人分だ。

速度が上がる。力ませ続ける体からは大量の汗が吹き出して、視界が狭まってクラクラする。だが決して力は抜かない。

「笑顔だ!!苦しいときほど笑え!!」

歯を食いしばって笑顔と呼べない笑顔になる。だが笑う。急カーブ、速度は緩めない。だが、ポージングを変える。

「左ヒラメ、右大腿、広背!!!」

俺が叫ぶと、ライジングサン山本は左足を伸ばし、右足にタメを作り、大きく上体を捻って広背筋と僧帽筋を強調するポーズを取った。同時に俺もアクセルを維持したまま右方向に傾いたポーズを取る。

ちゃちなプライドから最高速で急カーブに突っ込んだ事で死を覚悟したが、同時に思い出した。爆発的な電力を発するビルダーは、同時に強大な磁場を伴う。故に。

車体がカーブに差し掛かり、強力な外へのGが俺の体を襲った。だが歯を食いしばり、笑顔で耐える。更にGがかかり、更にGがかかった。

車体が吹っ飛ぶ、と思ったが、ありえない速度でカーブする車体は、まるでレールに張り付いたかのように安定していた。

ビルダーの磁場が、車体とレールの間に強力な電磁力を発生させたのだ。車輪とレールの間の摩擦が増大しただけではない、カーブの遠心力と相殺するほどの接着!

「山本ぉ!!もしかしてお前の筋肉がビッグバンかぁ!!?」

「今日!!!証明してやる!!Q!!E!!D!!!」

車体は加速する。ありえない速度、だが有り得る。俺にも筋肉があるからだ。ライジングサン山本の強大な磁場を、自分のポージングで制御して車輪への適切な引力にする。摩擦が増大し、かつてない高速を実現する。これが肉弾の次の世界。

酸欠で何も見えなくなってくる。だがポージングは常に調整する。アクセルは常に全開だ。遮るものはなにもない。急カーブも、坂も、トンネルの乱気も。

いま電車と俺は一つだ。山本も同じく。一つの『肉弾電車』となって山手線を只々走り抜ける。まるで加速する粒子のように、円に。

殆どない視界で捉えたのは、東京駅、超満員のホーム。急いでブレーキをかけると、笑えないほどのオーバーランをして、止まった。

自分の心臓の音の合間に漏れ聞こえたのは歓声ではなく、最有力候補の二階堂藤堂ペアが一回戦で敗北した、どよめきだった。

「俺は知ってたぞ。」

何時の間にかルーフから下りていたライジングサン山本は、汗だくの俺にプロテインジュースを渡すと、変わらない笑顔で言った。

「お前が一番速い。」

初めて飲んだプロテインジュースは、クソマズかった。

【終】










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