なぜ私はクリームソーダの写真を撮るのか
タイトルを見ると、さぞ1000枚以上ものクリームソーダ写真データを持っている様に見えるが、
実際のところ私のデータフォルダには約30枚ほどしかクリームソーダの写真はない。
ただ全て2軒の喫茶で撮った物なので正確に表現すると
「二種類のクリームソーダの写真が30枚ほどある」
これは同じ日に撮影しているのではなく、クリームソーダ注文の度に撮影をした異なる日のデータである。
来店の度。ではない。
クリームソーダを注文の度。だ。
なのでコーヒーを注文した時は撮影はしない。
そして、数あるSNSの中からTwitterのみにUPする。
フォロワーが50人以下の最弱アカウントなので誰も見ていない事前提でUPしているのだが、ある方がこうコメントをくれた。
「前衛的ですね!」
……。
なんですか?それは。
前衛的?それは一体なんなんですか?
「アヴァンギャルドの事ですよ!」
………ん?
なんですか??聞こえますか?
だからそれも一体なんなんですか?
ギャランドゥの一部ですか?
どこがですか??
どこをどう見たらクリームソーダが時代に先駆けてるのですか?
色々と混乱してきました。
その方に「なぜこのツイートを前衛的と思ったのか」聞いて見たところ
「君達の目には同じ物に映るだろ。同じ被写体であっても日時や撮影時の感情が違えば対象物は既に別の物として表現されてるのだ。それがアートだ」
と、貴方が訴えてるように感じた。
だから「なんて前衛的なんだ」と思いました。
と。
私は心の中でこう言いました。
ごめんなさい。
私、iPhone11買ってテンション上がってただけなんです。
本当に意味なんて無いんです。許して下さい。
言えなかった。
まさかここまで深く捉えて考察し感じてくれた人に言う勇気がなかった。
昔からそうだ。
期待に応えようとするあまり、相手からの過大評価に対し小さい嘘を重ね最終的に必要以上の努力を強いられてきた。
ただクリームソーダの写真を撮ってただけなのに。
前衛的な人間にならなきゃいけなくなってきた。
前衛的の意味さえ知らなかったのに…。
また別の人にはこう言われた。
「なぜクリームソーダなんですか?きっと強いこだわりがあるんですよね?」
「まぁね」
嘯いて見たものの、私の脳内にはこうリフレインされる。
「いやまじでiPhone11買ってテンション上がってただけなんですって!!」
しかし待てよ。
逆になぜアイスコーヒーの写真は撮らないのか。
そして何故この二店舗以外の店のクリームソーダの写真を撮りに行かないのか。
自分に問うてみた。
答えはこうだ。
「いや、別に」
もう身も蓋もないので、せっかくの機会だし深く掘り下げて考えて見た。
こんなにクリームソーダに向き合う事は後にも先にもないだろう。
アイスコーヒーの写真は何故撮らないのか。
何故他のお店のクリームソーダの写真を撮りに行かないのか。
①アイスコーヒーは大体同じフォルムだから(撮らない)
②反対にクリームソーダは作り手により形の変化がある(だから撮る)
③かと言ってクリームソーダが大好きで、色んな店舗の物が飲みたいわけではない
④店によってそうそう味が変わるわけでもない
⑤行き慣れた場所が好きなので新しいお店を探そうと言う意欲が湧かない
⑥そもそも意欲が湧くほど好きじゃない
以上。
と言うわけでまとめると、
・本人は一切何も考えずに発信した物でも、他人からすると前衛的ARTに見える場合もあるし、何か深い意味を探される事もあるという事。
・またその他者のイメージが意図しない物であっても、自分の憧れる様な物であるなら他者のイメージを守れる自己プロデュースをすれば良いという事。
・iPhone 11のカメラはproでなくても(タピオカ2つってやつでも)全然テンション上がる物が撮れるよという事。
・クリームソーダは大体どこで食べても美味しいよ。という事。
・そんなに毎日考えながら生きてないよ。という事。
・と言う事はきっと他人もそんなに考えてないな。という事。
・前衛的とはあゔぁんぎゃるどだよ。という事。
読了ありがとうございました。
ま、タピオカの写真もありましたけどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?