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恋多きって言葉が引っかかる

恋多き人生ってなんだろう。むしろ人を愛さない時間があるほうが不思議なわたしには、恋が多いという感覚がぴんとこない。

恋愛が常に人生の横にぴったりと、私が土手を走っているならその斜め下にずっと流れている川のような感じ。

他人から見たら、私は川を泳いでいるように見えるのだろうか。

たしかに、この人のことが好きだ!大切にする!と思ったら一直線。仕事とか、学歴とか、距離とか、年齢とか、国籍とか、何も関係なく「その人」を愛することに妥協はしない。

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自分に、恋多きって言葉が似合わないと思えるようになったのは最近かもしれない。いつでも似合うと思ったことはないけれど、今が一番、それは私を表した言葉じゃないって否定できる。

人と関係を持つことに浸りがちな時期があった。その人の眼を借りて世界を見ることで、自分の存在を無い物にしたり、違ったものに交換してる気持ちになろうとしたりした。

他人の靴を履いても、もちろん、私の自尊心の穴は埋まらなかった。

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この混乱を理解してくれる人はいるだろうか。

若いうちは、結婚という語が出るまでは、彼氏と彼女は友達とも同義な地位しか持たず、婚約者になった途端に家族と化す。そんな気持ち。

若い学生の頃はろくに性教育も受けられずなんなら大人からセックスに興味をもたないよう操作され、いざ社会に出たら婚約者探しの狩りに放り出される。そんな気持ち。

恋人がいると仕事や勉強の妨げになるというディストラクションから、結婚するならお二人に任せますと言うような免罪符。そんな気持ち。

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24歳って、ぶっちゃけ若いからまだまだ色々できるよねとか、24歳って実際は結構歳だよねとか、そういうラベル貼りはもういらないんです。

自分のカテゴリー分けはやめて、真っ当に自分の道を進む。今結婚しようが後でしようが今の彼氏とどうなろうが今全力で頑張ってたら、未来の自分は今の自分を責めることはできないから。

他人は言うかもしれないよ、あの時こうしてればって。あなたを大事に思ってこそ言う。でも全力でもがいた私の気持ちを私になったわけでもないのに、どうしてわかるだろう。

他人は、突き放しもしない、でも無理矢理抱きしめる必要もない。まずは自分を認めてあげて。弱い自分ももがいた自分も少し頑張れた自分も。

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大学院留学、専攻はヒューマンライツ🌏 写真が好き。ジャーナリストになる。
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