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【書評】 動的平衡 福岡伸一著

人間を構成する要素は同じなのに、なぜこれほどまでに個体差や性格の違いが生まれるのか。どのようにして分子の塊がそれを作り上げるのか。

私は文系でありながら、分子生物学という学問に惹かれた。そして「物質の最小単位である分子にまで人間を分解して見ることができれば、病気の撲滅に始まり様々なことができるのではないのか」と。

しかしそんな考えは真っ先に、この本の著者によって壊される。そしてもっと分子生物学という世界に魅了させられ、生命をまた違った角度から見る視点が作らされる。この本は、動的平衡という状態から生命現象とは何か?という問いに挑む哲学書かもしれない。

福岡伸一(ふくおかしんいち)1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学研究員。京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学工学部 科学・生命科学科教授。分子生物学選考。 [出典]同著

デカルトの「罪」

 「方法序説」で知られる17世紀フランスを代表する哲学者ルネ・デカルトは、生命現象は全て機械論的に説明可能だと考え、動物は魂がなく時計などの機械と同じで、部品の組み合わせであるといった考え(動物機械説)を唱えた。この説はデカルト主義者たちによって広まり、18世紀フランスの医師・唯物論者であったラ・メトリーは「人間もまた機械的な理解をすべき」だと主張した。恐らく現代人は、この考え方の延長線上で生命をパーツの集合体であると考えている。臓器売買や細胞の操作がこれにあたり、デカルトは現代のこの考え方の出発点だと言える。

動的平衡とは何か?

 確かに人間は、極限まで分解していくと部品になるし、遺伝子上には設計図がある。しかしそれを組み合わせたところで生命体とはならない。生命は絶えず「合成」と「分解」を繰り返す。

 食物に含まれるタンパク質には、元の生命体の情報が詰まっているため、消化を通して一度アミノ酸に分解される。もし分解がなければ、我々の身体と干渉し、アレルギーや拒絶反応を起こしてしまうからだ。そして分解されたアミノ酸が血流にのって細胞内に取り込まれ、新たなタンパク質に再合成される。生命は、このアミノ酸の「合成」と「分解」のバランスの上に成り立つ。つまり動的な平衡状態が「生きている」と言うことであり、生命活動は、その構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるのだ。

 分子的に見ると、数ヶ月前の自分と今の自分とでは全く異なっている。人間は絶え間なく高速に繰り返す運動の中で、辛うじて平衡な状態を保っている、分子の淀みにすぎない。シェーンハイマーはこれを、「動的な状態」と呼んだが、さらに均衡の重要性を強めるために筆者は「動的平衡」と訳す。

学ことの意味

 人類700万年というが、そのほとんどが飢餓の歴史であり、飽食の時代になったのはごく最近である。人類はこれまで朝起きたらその日の食料を探し、生きることが唯一の目的であったが、現代は生きる意味を見つけることが目的となった。しかし、それまでの知覚と思考の癖はしっかりと残っており、無くなるにはまだ期間が短すぎる。人類は生き延びるために、環境の中からさまざまな法則を見出してきた(たとえそれがランダムなものだったとしても)。その名残りとして、木の模様から人の顔を見つけたりする。こうしたバイアスの上に人は成り立っており、ありのままの自然を見ることができない。

「学ぶこととは?」と言う問いに筆者は、「私たちを規定する生物学的規制から自由になるために、私たちは学ぶのだ」と言う。直感が湧き起こす誤謬を見直し、現象へイマジネーションを届かせることに、人が勉強する意味がある。


感想

最後まで読んでいただきありがとうございます。私の稚拙な文章では、この本の良さはまだまだ伝えることができないので、ぜひご自身で読んでいただきたいです。そのタイトルから高度な専門書のような印象も受けるますが、恐らく義務教育を終えた人なら誰でも理解できます。読みやすさもさることながら、学ぶことの多い(というか学ぶところしかない)良書だったと思います。


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