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暗い。

今日は毒です。暗いし、ひどいことばをつづってしまうかもしれないので、そういった邪悪なものが苦手な方は、読まれない方がいいかもしれません。

ふとしたとき、暗いほうに、闇のほうに、よくないほうに、連れていかれてしまう毎日を過ごしています。
なかなか物事にも集中できず。

以前は本を読むことがすきでした。いまは、集中できないので、本を読むことはなく、買った本も山積み。

それなのに、noteは書くし読む。
たぶん実際にあったことを書かれているかたが多いからか、想像しやすくて、すっと入ってくるのかもしれない。
というか、そういうことを書かれているかたのものを読みにいくことが多かったり、わたしのnoteを読んでくださって、いいね、してくださったかたのところに、読みに行くことも多いからかもしれない。なぜかグッとくる。

遡れる限り、遡って読むことが多い。読むたびに、どんなひとなのか想像する。そしてまた読む。

本が読めないのに、noteが読めるのは、こころの問題なのかもしれない。

noteを始めてよかったことは、じぶんだけじゃない苦しい人がいるということがわかったこと。
楽しそうなおはなしは、あまり読みたくないから、そういうのは読まない。なんだか、よけいに暗いきもちになってしまう。わたしには、そういう、楽しいこと、とか、明るいおはなしができないから、よけいに。
ひとのしあわせを願ったり、祝福したりすることも、いまは絶対にできない。こころが狭いとか、なんだとか思われてもかまわない。
願うことと言えば、だいきらいなひとの不幸を毎日願うのみ。苦しめばいい、何もかもなくせばいい、一層のこと生きていなきゃいいのに、と毎日思う。
呪い、とか調べてしまったこともある、30歳にもなって。それが恥ずかしいとも思わない。
でも、世の中のひとは、そう思うかもしれない。
わたしは、なにもかもなくしたのに、どうして平気で暮らしていられるのか、へらへらしていられるのか教えてほしくて。

世の中には、傷つける側と傷つけられる側がいる。戦争もそうだし、人間同士の喧嘩もそう。どうして、そのふたつしかないのかな。なにごともなく、平和に暮らせないのかな。

傷つけて、傷つけられて、すきだったのに、きらいになって。悲しい道しかないなら、ひととひとなんて、繋がり合わなければいいのに。
家族も、友達も、恋人も。なにもなくなればいい。

もう、本当に、なにもかもいやだ。ひとと関わることがこわい。繋がることが怖い。壊れてなくなるなら、ずっと、永遠に誰とも接することなく、ひとりでいたい。なにもかもなくなるなら、最初から、なにもなくていい。
苦しい。つらい。早く抜け出したいのに、毎日つらい。たすけてほしい。

じぶんで抜け出すしかないのに、できない。よわくてもろい、ひとりでたてないくせに。でも、ひとりがいい。ひとりじゃないとだめなんだ。

来てくださって、ありがとうございます。なにか感じていただけましたら、今後もなんとなく、ふらっと、見に来てやってください。