
「大人」って、どういう人? ~成人の日を前に、ちょっと考えてみる~
おとな【大‐人】 の解説
1 成長して一人前になった人。
㋐一人前の年齢に達した人。「入場料大人200円、子供100円」⇔子供。
㋑一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。また、その人。「大人としての自覚」「青臭いことを言ってないでもっと大人になれ」
㋒昔は、元服後の男子、裳着 (もぎ) を済ませた女子。
「―になり給ひて後は、ありしやうに御簾 (みす) の内にも入れ給はず」〈源・桐壺〉
2 一族・集団の長や、年配で、主だった人。長 (おさ) 。頭 (かしら) 。女房の頭、武家の譜代の老臣、大小名の家老・宿老・年寄などの類。
「父 (てて) は、ただ我を―にしすゑて」〈更級〉
「資賢卿 (すけかたのきゃう) はふるい人、―にておはしき」〈平家・二〉
──goo国語辞書(出典:小学館『デジタル大辞泉』)
わたしは、何かを真剣に考える時は、まず最初に辞書を引きます。
ちなみにこの辞書、補説としてちょっと面白いことが書いてあります。
長くなるので引用は避けましたが、ぜひ読んでみてください。
それでは冒頭の解説を踏まえて、「大人」とはどういう人のことか、考えてみます。
「大人」の理想
…といっても、解説だけ見てもまだ曖昧でよくわからないので、
「この人は大人だろう」といえるモデルケースを思い浮かべてみます。
皆さんのまわりには、「大人」といえる人はいますか?
わたしの場合…残念ながら、私が見る限り現実世界には「大人」といえる人は、誰一人としていませんでした。
アニメとかゲームの世界も含めていいならポンポン思いつくんですが…。
せめて、他者に対する最低限の思いやりくらいは持っていてほしいのですが、それすらも結構ハードな条件のようです…。
誰かしら何かしら、悪い意味で「子供っぽい」要素を多少は持ち合わせているものです。
それはもう、ヒトがヒトである以上、仕方のないことなのかもしれません。
「大人」の現実
では、現実で「大人」と呼ばれる人は、どんな感じなのでしょうか。
冒頭の解説1-㋐「一人前の年齢に達した人」を見てみると…
もう、少し見ただけでも、悪い意味で「子供っぽい」大人がちらほらいますよね…。
もし、今までにそんな大人を見たことがないという超幸運な方は、1月12日以降に成人式のニュースを見てみましょう。
今年はコロナが猛威を振るっているので少ないでしょうが、いるはずです。暴れる成人が…。
普段のニュースからして、「大人が悪いことをして捕まった」とかばっかりです。
これが現実です。
特にACや毒親育ちな方は、自分にとって最も身近な大人である「親」からしてこの始末なので、大人に対する信頼がゼロでもおかしくないでしょう…。
次に、解説2「一族・集団の長や、年配で、主だった人。長 (おさ) 。頭 (かしら) 。女房の頭、武家の譜代の老臣、大小名の家老・宿老・年寄などの類。」…
ちょっとわかりにくいので、国の代表である政治家たちを見てみましょう。
…はい。もう言うまでもなく酷いですよね…。
それも日本に限らず…アメリカに至ってはもっと深刻で、
人を口汚く罵り、しまいには現大統領の支持者が議会に乱入し死者を出す始末。
残念ですが、これが大人です。
皆さんはこれを見て、大人になりたいと思いましたか?
もし、「大人はこんな人ばっかりじゃない」とか「自分はこんな人たちとは違う、真の意味での大人になる」とお考えでしたら、
その考えを失くさないように、いつまでも大切にしてください。
そうした考えを持っていたはずなのに、闇に堕ちてしまうダース・ベイダーが後を絶たないのです…。
大人になることが、必ずしも良い事とは限らない
では、大人になるには自らの「子供っぽい」部分を全て捨てるべきなのかというと、そうでもないとわたしは思っています。
冒頭で紹介した辞書の補説から、ちょっとだけ引用します。
◆諦めることに慣れた人。
さくさん
◆何か大切なものを失い、どうでもいいことを身に付けてしまった人。
satoさん
◆昨日と違う風景に気づかなくなった者のこと。
lovethiefさん
◆経験の積み重ねでワクワクを失った者。また、未経験のドキドキを恐れて挑戦しない者。
永井条さん
◆誕生日が楽しみじゃなくなる人のこと。
ちささん
…すみません、ちょっとだけのつもりが5個も引用してしまいました。
これ以外にも、大人に対するネガティブな記述が結構あります。
そう、大人になるっていいことばっかりじゃないんですよ…。
特に厄介なのは、行動力の源である知的好奇心を失うことと、
現実ばかりを見てポジティブな空想をしなくなること。
こればっかりは、「ちゃんとした大人」になったとしても避けられません。
知的好奇心や空想を失うことによる人生の損失は、非常に大きいとわたしは思っています。
これらを失うくらいなら、完全な大人にはならなくてもいいのではないかな、と。
…でもやっぱり、大人になりたいですよね。
成人式に行く人が、大人?
さて、わたしは「大人」であるために必要な条件の一つとして、
「自分の意志で責任を持って行動を選択できる」ことが含まれると思っています。
人生は、選択の連続です。
ほとんどのRPGでも、「はい」か「いいえ」、あるいはそれ以上の選択を何度も繰り返して物語を進めていきます。
大事な選択をしなければならない状況で、他人に流され、他人に任せ、他人に責任を押し付ける人を、果たして大人と呼べるのでしょうか。
それは、たとえどんな選択であってもです。
ただ単に「行けって言われたから」とか「行かないといけない空気があるから」だけで、何も考えずに成人式に行く人を、本当に「大人」と言えるのでしょうか。
わたしは、成人式に行くことや行かないことがどういうことかを自分自身で考えた上で、自分の意志で「行かない」と選択する人のほうが、よっぽど「大人」だと思っています。
特に今回は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、例年とは大きく違う成人の日になっていることでしょう。
このような状況でもなお、成人式を開催する自治体も少なくありません。
コロナのリスクも選択材料に入れた上で、成人式に行くことが自分や他者、ひいては社会にどういう影響を与えるのか、よくよく考えた上で決断してほしいと、わたしは思います。
まあ、皆さんでもできると思いますよ。大人ですからね!
新成人の皆様、おめでとうございます。
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