「不器用」な「あたし」

あたしには5歳年上の姉がいます。今はごく稀に連絡する程度、年賀状も交わさなくなりました。

小さい頃から姉とは仲が悪く、親の見えないところで叩かれたり蹴られたり…。大人になった今でこそ体格も変わらなくなりましたが、子どもの頃の体格差にはあがなえず、ひたすら姉の「サンドバッグ」いや「慰み者」になってた。

親は全く気付かなかった。大人になってから母や父に「姉にはこんなに酷い事をされ続けた」と打ち明けたけど、母は「そんな事信じられないし、信じたくない」と言われ、父には「お前の被害妄想だ」と決めつけられました。

それ以来、父母親戚、誰にも子どもの頃の事は話さず、姉を全く知らないあたしの友達や恋人などに話すようになりました。誰かに気付いて欲しかった。わかって欲しかった。聞いて欲しかった。信じて欲しかった。慰めて欲しかった。

姉とあたしは、両親からよく比べられました。「姉はしっかりしてるのに、なんでお前は不器用なんだ」って。姉も両親に乗っかるように、あたしを名前で呼ばず、「バカ」と読んでました。

30歳の姉と25歳のあたしを比べられるのなら、まだわかります。でも、10歳の姉と5歳のあたしを比べられた。この「5歳差」は大きい。今冷静に考えて、10歳にできて5歳にできない、当たり前だけど、誰もその「当たり前」を教えてくれなかった。スキーをしても柔道をしても野球(姉とあたしは同じリトルリーグのチームに入ってました)をしても勉強をしても絵を描いても、姉はリーダーシップがあって上手。あたしはドジで間抜けでトロくて、そして「不器用」。

親はもしかしたら、そこで「何くそ!」ってあたしが頑張ると思ったのかも?でもあたしは、きっとあたしの反応は普通だと思うけど、「あたしはどうせ不器用だから、できない。失敗する」って、自分に呪文をかけてしまった。

それは大人になったあたしにも、古錆のようにこびりついてしまった。就職先、新採用のあたしは先輩のようにはできない。それは「当たり前」なのだけど、できない自分を過度に否定する。「できない」と言えなくなる。先輩も自分の事で手一杯。誰にも「助けて」が言えない。誰からも「助けるよ」という手は伸びない。

時々「結芽さん、大丈夫?」と訊いてくる同僚がいる。でももうあたしは絶賛自己否定中なので、その同僚の声が「あんたが自分の仕事をできないから、こっちに皺寄せが来るんだよ」って聞こえる。自分を責めて、責めて、責めて…壊れました。

去年になって、「自分を好きになりたい。」(わたなべぼん著:幻冬舎)という本に出会いました。今流行りの「自己肯定感」がわからなかったので。

この本の中で筆者は、子どもの頃の自分と対話し、「大人になった今ならできるけど、子どもの頃はやりたくても出来なかった事」を、子どもの頃の自分の代わりに、次々と叶えていきます。

これは今の心理学ではほとんど聞かなくなった「傷ついたインナーチャイルドの修復」そのものでした。これなら、今の心理学は勉強不足のあたしでもできる!

んで、やってみた事。
①ヌードポーズ集を買う(②と④に繋がる)。
②ストリップに行く。エロポラを撮る。
③芝居や映画を好きなだけ観る。
④ヌード写真を撮る。

他にも「猫カフェに行く」とか、「似合う服ではなくて欲しい服を買う」とか…。

そしたらあたし、アクティブに動く事ができた。心から「楽しい」って思えた。笑う事ができた。

さらにあたしは変わってゆく。遊ぶためのお金を得るために、仕事にやる気が出た。例えばこの前なら「この仕事を終わらせたら、明日は心残りなく中橋虹架さんに会える」とか(笑)。

そんな風に少しずつポジティブになり、今は「自分が好き」って言えるようになってきてます。

もちろん、まだあたしには欠点や短所はたくさんあるし、失敗して落ち込む事も、うつ病の波に飲まれて布団から出られない時も。でも、「それもあたし」「今日は休もう」って、少しだけどゆとりができた。

「自己肯定感を上げたい」「自分を好きになりたい」そんな人がもしいたら、まずはあなたの中の「子どもの頃」を見つけてあげて欲しい。そして、その「子ども」を幸せにして欲しい。納得させてあげて欲しい。

そこには親もきょうだいも必要ありません。ただ、自分を自分で叶えてあげる。そこからスタートしてみてください。

子どものあなたの小さな願い、しまい込まないで、ひとつひとつ叶えて、癒してあげてください。

あなたには、幸せになる権利があります。もちろん、あたしにも…。

「子どもの頃のあたし」へ。今もあたしは不器用です。でも、できる事を一所懸命やってるぉ。そしたら、ちゃんと見て、気付いて、認めてくれる人もいたんだぉ。

そして、今のあたしは、「幸せ」だぉ。

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