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「やりたいこと」が見えた後。

2024年は間違いなく、変化の年。

思わぬところから学校取材記事を書き始め、子どものために悩み、考え、行動している人たちを知った。


私はどうだろう?

子どもたちのために、本気になれているのか。


心のこり

長男が1歳になると同時に復帰し、受け持ったクラスはなかなか手強かった。

「1年生の頃に学級崩壊しています。うちの学校で、1番大変な学年かも」

管理職の話どおり、なかなかのツワモノぞろい。でも、大変であればあるほど、燃える性格。笑

少しずつクラスがまとまっていく、子どもたちとの関係を作り上げるプロセスがたまらなく楽しい。

保護者も例外ではなく、最初「今度の担任、どんな人や?」と怪訝だった表情が少しずつ、少しずつ和らいでいく(もちろん全員ではないけれど、それはしゃあないよね)。

「来年度も先生がいい」

言われるたび、うれしいと同時にひとつ、トゲが刺さる。コツコツと信頼関係を築いても、同じ子の担任でいられるのは最長で3年ほど(1〜2年が主流)。中途半端なまま子ども・保護者と離れなければならないのは、公立学校教員の宿命といえよう。

やりたいことの輪郭が見えた後

先月参加した読書会で、「やりたいこと」の輪郭が見えた。

「事故に遭う」

私淑(勝手に尊敬)する近藤康太郎先生の言葉だ。自分の才能や努力の限界を超えるカギは、「事故に遭うこと」にあると。近藤先生のインタビュー動画を見ながら、ふと思う。


「じっとしとったら、事故になんて遭えへんよな」

せっかくやりたいことが見えてきたんやから、分からんなりに動いてみよう。フラフラしてみよう。そう思った。

「フリースクール」について調べる

現時点で、私のやりたい教育に近いのはフリースクールだ。近隣のフリースクールを調べたものの、いまいちピンとこない。塾で指導力を磨くのもいいけれど、夜の勤務は難しい。

教員の経験を活かし、発達支援に携われる仕事はないものか。そんなときに見つけたのが、「児童指導員」だった。未就学児の療育や、特別支援学級・特別支援学校に通う児童たちのサポートをする仕事。

1人ひとりと丁寧に、深く関わりたいと願う私にピッタリだ、と思った。

「児童発達支援管理責任者」の存在

児童指導員の求人を探すうちに、「児童発達支援管理責任者(児発管)」という職業にぶち当たる。児発管の仕事はこんな感じ。

・子どもごとの個別支援計画の作成
・保護者へのサポート
・保育園・学校など諸機関との連携
・児童指導員の育成

これ、私のやりたいことに近いぞ。ただ、児発管は教員経験(元教員の場合ね)がある上で、実務経験5年(OJTを2年含む)と2回の研修が必要とのこと。現場で児童指導員として5年働き、ようやく見えてくる。

5年とな!

今からスタートして、ギリギリ、漱石が「こゝろ」を書き始めた47歳に間に合うかもしれん。47歳にこだわっているわけではないが、咄嗟にそう思った。

児発管に、オレはなる。

就職活動、スタート

初めて、きちんとした履歴書・職務経歴書を作った。笑

中小から大手まで、合計で4社に応募して面接を受ける。勤務予定(中小企業)の施設の児発管はとても感じが良く、一緒に働けたらいいなと思った。一方、面接で先方の話を聞くうちに「教育というよりも、お世話なのかな」と感じ、辞退した(結果的に、これは誤解だったのだけど)。

ただ、大手はサービス重視なため、土日・祝日も含めたシフト制。開始時間を遅らせるのは可能な反面、終了時間を早めるのは難しいとのこと。

土日・祝日は休み、家族との時間を持つ。でないと、何のために教職を退いたのか分からない。

この思いを叶えられるのは、大手ではなく、中小の事業所だった。しかも、辞退をきっかけに代表と深く話せ、より好条件での勤務となった(再検討を打診してくれて感謝)。

ライター・編集経験、強みでっせ。

職務経歴書には当然、ライター・編集の経験も書いている。面接の終盤、「そういえばライター・編集って、どんな記事を書いているんですか?SNSとかできますか?」と聞かれた。

「もちろんです!SNS運営やおたより作成、広報活動なんかも、ぜひやらせてください」

手がけてきた記事を簡単に説明するとともに、ガッツリ営業。笑


話によると、広報にまで手が回っていないから助かるとのこと。なるほど、ベンチャーやとこういう提案が通るんよなぁ、と実感。

こうして、トントントーンと10月からの勤務が決まった。夫は「大変そう」との理由で反対気味だったが、「やってみないと分からない」と説得。学校の枠からはみ出す子どもたちのサポートがしたい!という思いも共有した。

ライター業しかりFP受験しかり、私がやる!と決めたことを応援してくれるのがほんまありがたい。

フラフラーと動き、事故る

実は私、児童指導員に応募しながらも、編集者(コンテンツマーケティング)への思いを捨てきれずにいた。こんなフラフラした気持ちでいいんかな、と思いつつも「事故に遭う」ために動いた結果。

子どもがいない時間は広報、子どもが来たら児童指導員というおもしろポジションを獲得した。当たり前だが、求人票には載っていない特別案件。笑


「事故に遭う」って、こういうことなんかも。


まずはパート、ゆくゆくは正社員。長期戦で児発管を目指す。同時に、広報担当として集客に挑戦。

面接ではぶっきらぼうに感じた代表が、実はええ人やった。3歳児の父で、イヤイヤ期あるあるで盛り上がった。人って、話してみないと分からんね。

縁あって働くからには、約4年のライター・編集経験フル活用で集客に貢献してみせる。

あとがき









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