「やりたい」と「できる」の兼ね合い
ずーーーーーっと考えてきたことがある。
自分は何をもって「書く」仕事に貢献するのか。
リサーチ(取材)メインのライターか、作家か、はたまたそれらを支える編集か。「書きたい!」思いはあれど、フィールドはぼんやり。
自分に問いかけてみた。
実は私、あまり目立ちたくない。今やっている教育相談だって、SNSや動画でガンガンPRしている方もいる。実際、「売り出しますよ!」の提案もきた。だが、イヤなのだ。自分は目立ちたくない。
そもそも教育相談も、話を聞いてスッキリする人がいるのなら・・・とのボランティア感覚で始めた。「必要な人に利用してもらえばいい」と思っているから、過度なアピールはしたくない。
一方で、人にスポットライトを当てることには、やり甲斐を感じる。ヒト・コト・モノの良さを見つけ、「強み」を全面に出してコーディネートする。そっちのほうが合っているのだろう、心がバチバチッと弾ける感じ。笑
先日、長男に「僕は大きくなったらスポーツ選手になりたいんだ!ママは大きくなったら何になりたい?」と問われた。
もう、十二分に大きくなっているんやけどね…
と心の中でつぶやき、
「うーーーーん…"書ける"編集者さんかな!」と答えた。
好奇心旺盛な長男が、「ねぇ、書ける編集者って何?」とたずねてきたことは言うまでもない。
「またゆっくりと説明するね」と中断した話題を、ここで深ぼってみようと思う。
編集者こそ、書く・伝えるスキルが必要
「編集者」とは一体、どのような人だろうか。ライターに指示を与える、進行を管理する、読まれるコンテンツを作成する。業務が幅広いゆえに、だれでも簡単に「編集者」を名乗れる。
たまーに、「編集者が上、ライターが下」との、とんでもない勘違いも耳にする。もし「編集者に必要なスキルは何だと思う?」と問われるなら、迷わずに答えたい。
書いて伝える力だ、と。
「分かりにくいので、もっと具体的にしてください」
制作会社で書いていたとき、こんなフィードバック(?)を見かけた。フィードバックを見たライターは、直せるだろうか。恐らく「自分なりに一生懸命、書いたんだけどな」「どこを具体的にすればいいの?」と、わけワカメちゃんループに陥ると予想する。
分かりにくい根拠と、どうすれば具体的になるかの方向性を示すスキルが必要だと思う。でなければ、感想であってフィードバックとはいえないだろう。
書く力が足りない編集者にあたると、ライターは迷う。記事を良くするための編集者が、質を下げてしまう。挙句、「使えないライターが増えてきた」と、どこまでも外側に責任を求める。
現場に立ち続ける
「修正を出しているのに、全然なおっていない」
こんなことを言っているのは、自分の力不足を公言しているも同然だと思う。望む方向に記事が修正されないのは、指示が明確ではないから。初めて読んだ人が理解できるぐらいに、例を示して「どのように修正すればいいか」を伝える必要がある。
それでも上から目線の修正を要求するのは、「現場」の気持ちが分かっていないから。書く大変さを経験していれば、曲がりなりにも記事を仕上げたライターを見下すなんてこと、できないだろう。
私が潜り込みたい企業は、この辺が徹底されている。進行・管理する人はすべからず、「書ける人」たちだ。ライター・校正・校閲など、全ての業務を一通りこなせる。今も、ガンガン書いている。
だから、現場の気持ちが分かる。気持ちに寄り添いながらも、根拠を示してフィードバックをする。
私も、いつまでも書き続ける編集者になりたい。
チャンスが目前に!でも・・・
そんな希望が叶いかけたけれど、「出社」のハードルがドドーンと立ち塞がる。
3年前は隣県にしか支社がなかったけれど、着実に業績を伸ばして東京にも進出しているらしい。
出社といっても数カ月なので、なんとか乗り切りたいところ。ただ、次男は預かり保育があるからいいとして、長男の預け先が問題だ。学童は大人気で、年度途中からの入所は不可能ときた。
民間学童を見てみたけれど、
なんじゃ、こりゃー!!!何のために働くか分からん!ってほどのたっかい料金。
結局、タイミングが合わずにお断り。
また声をかけてくれるらしいので、目の前のことに取り組みつつ、チャンスに備えようと思う。
子育てしながらキャリアを積むのは、想像以上に難しい。でも、諦めたくはない。楽しい仕事は、自ら掴むしかないのじゃ。
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