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海の向こうの人種差別に憤る前に、我々の社会にある差別を考えよう

George Floyd の死から始まったデモ、そして怒りの声は、全米でさらに広まり、とどまっていません。

暴動ばかりがクローズアップされますが、多くの方々は様々な形で連帯を示しています。警察官、軍人、市長、知事など、立場を変えた多くの人が、デモに賛意を示し、何ら有効なメッセージを発しないドナルド・トランプ大統領を批判しています。

マイケル・ジョーダン、マティス前国防長官など、これまで頑なに政治的話題に沈黙してきた人たちすら、です。


語ろうと思えば、いくらでもこの件に関しては「冷静に」「客観的に」書くことも出来ます。しかし、今日はそれについて話すつもりはありません。

この #BlackLivesMatter をどこか遠いものとして考え、「アメリカは怖いね」「黒人は大変だね」などと思っている人も多いかもしれません。

しかし、今日書くのは、我々が今暮らす日本社会の話です。


わたしの隣の差別

僕は京都市左京区で生まれました。左京区には北白川という場所があり、そこには京都朝鮮学校があります。小学校低学年の頃だったと思いますが、彼女たちの通学路は僕の家の近くで、鮮やかな民族衣装で投稿する学生の姿をよく見ました。


いつだったか、というのは明白には覚えていません(Wikipediaを見ると、概ね1999年頃の話だと思います)が、この民族衣装を着用する学生はいなくなりました。

1994年に起こった「チマチョゴリ切り裂き事件」の影響です。当時はよく事情がわからず、なんとなく寂しい思いをしていたくらいでした。


しかし、今考えれば、1987年に大韓航空機爆破事件が起こり、1994年に核開発、1998年にはテポドンが発射され、やがて2002年には拉致被害者の帰国、と、加速度的に日朝関係が悪化する中に彼らがいたことがわかります。

(この辺の雰囲気は、群像新人文学賞を受賞された『ジニのパズル』を読むとよく分かると思います)

当時の僕にはよくわからない話でしたが、一つ隔てた場所に、暴行され、暴言を吐かれていた人たちがいたことは、容易に想像されます。


正直に言うと、そんなことは想像できませんでした。

京都の小学校というのは、かなり人権教育をしっかりするところでして、あんまりそういう雰囲気はよくわかっていなかったし、そもそも接点もありませんでした(もしあの時代スマートフォンがあったら、どうなっていたかわかりません)。

想像できるようになったのは、もっとずっと後のことです。


憎悪と恐怖と手段

コロナ下でもいろいろなことが置きました。

アメリカでたびたび人種による殺人が起こる理由の一つは、銃規制がないことに原因があるでしょう。日本で、ジョギング中の黒人が突然射殺されるようなことはありません。

「撃たれるかもしれない」という恐怖が、「やられる前にやる」暴力という結果を生むのです。憎悪と恐怖と手段が結びついた時、悲劇が起こります。


しかし、それは日本に人種差別がないという理由にはなりません。

今やルワンダはアフリカ諸国でも最も治安のいい国の一つですが、かつてこの国では人口の10〰20%も亡くなるジェノサイド(大虐殺)がおきました。ドイツのホロコーストも、言うまでもないでしょう。

実際、日本社会で普通に暮らしていて差別的な発言に出くわすことは、珍しいことではありません。(人種差別・性差別、その他諸々含めて)


かつて下記のような発言を行った団体の代表は、今度の都知事選にも出馬します。

私自身も、視界に入れなければ何とかなると思っていた。

「良い韓国人も悪い韓国人も どちらも殺せ」
「朝鮮人 首吊(つ)レ毒飲メ 飛ビ降リロ」
今年2月9日、在特会と友好関係にある団体主催のデモで掲げられていたというプラカードを目にした人の多くが、あっと息をのんだ。殺人教唆とも取れる言葉が、平然と踊っていたからだ。

https://www.asahi.com/shimbun/aan/column/130716.html


「憎悪と恐怖と手段」と先程書きました。

かつて、関東大震災において「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言飛語が飛び交い、結果として多くの朝鮮人が暴行を受けました。

戦後NHK会長にもなった野村秀雄は当時朝日新聞の政治部記者だったが、社会部の記者が、「各所を鮮人が襲撃しているから、朝日新聞で触れ回ってくれと警視庁が言っている」と駆け込んできたと振り返っている。

評論家の中島健蔵は、警察署の板塀に「不逞朝鮮人が反乱を起こそうとしているから警戒せよ」という張り紙が出ていたことを記憶している。

当時警視庁のナンバー2だった正力松太郎は、一時は「朝鮮人騒ぎは事実」と信じるなど、「警視庁も失敗した」ことを認めている。


有名な話ですが、演出家の千田是也氏は「朝鮮人が反乱している」という噂を信じて杖を持って飛び出したら、自分が朝鮮人に間違われて殺されかけたそうです。(たまたま近所の人がいたので助かったとか)

現職の知事は、この件について追悼文を送っていません。


我々の社会にも、憎悪と恐怖は存在します。アメリカの暴動と隔てている壁は、もしかするととても薄いかもしれない。

だとすれば、対岸の火事ではなく、我々もまた、自らの社会が抱える問題に向き合わなくてはいけない、と思います。

銃口は、誰かに向けられていて、ただ引き金が引かれていないだけかもしれないのです。


励みになります!これからも頑張ります。