見出し画像

街に眠る歴史を求めて

長野旅シリーズの第2回です。
今回の長野旅の目的のひとつが、「さんとこ」に寄ること、でした。

「さんとこ」は作家の源馬菜穂さんが営む喫茶店です。長らく勤められた母校の愛知県立芸術大学で助手さんの仕事を辞めて喫茶店を始められてもうすぐ2周年を迎えます。オープン前から話は聞いていたので「行きたい」と思いつつなかなか機会がないままようやく今回お邪魔することができました。
元は製糸関係の工場を営んでいたという親戚の方の住まいで大正末期に建てられたというこの建物、改装して現在は2階がギャラリーとなっています。白いカーテン越しに自然光が入ってきて、肩肘張っていない日常の生活に溶けこんだ形での展示空間はどこか見る側をほっとさせますね。

このとき開催中の展示は2人展でした。
ひとりは瀬川麻衣子さん。木版画の作家で以前から作品を見ていて好きな作家さんです。
もうひとりは百合草尚子さん。名古屋芸大出身のペインターで、作品を拝見するのは久しぶりのような気がします。

おふたりとも作品がこの空間によく合っていますね。素敵でした。
瀬川さんは陶板に描いたと思われる作品も出してました。こちらははじめて見るタイプのもの。今後も継続して制作されるのかしら。もっと見てみたいと思いました。

2階を大学生に貸していた時期もあるそうで、その名残を2階から階段を下りているときに見つけました。

いったいここでどんな生活が繰り広げられていたんでしょうか。何だか賑やかな日々が営まれていたような気がします。
せっかく「さんとこ」に来たのだから、展示だけでなく食べるもの飲むものもオーダーしましょう。というか、頼むものは事前にもう決めてありました。メニューを見てちょっとめうつりしそうになったのですがここは初志貫徹。ずばり「さんとこ焼き」を頼みました。

「さんとこ焼き」はホットケーキにくるみ、レーズン、ネギ、ニラ、ご飯が入った、お菓子と食事の中間のような、まさに軽食。ネギとかニラとか香りの強い食材とホットケーキの甘さが合うのか疑問だったのですが、まったく違和感ありませんでした。美味しくてあっという間に平らげてしまいました。セットで付いてきたかぼちゃのスープも甘くて幸せな気分になりました。
飲み物は百合草さんの作品をイメージしたというハーブレモネードティーをセレクト。すっきりとしていて飲みやすく、とても美味しかったです。
板の間のテーブル席もあったのですが、私は和室のちゃぶ台席をセレクト。立派な床の間と作品の組み合わせの妙も合わせて堪能いたしました。

障子にはめられた板ガラスは紅葉をあしらったもの。レトロで素敵です。古民家の良いところを残しつつ居心地の良い空間になっていて、そこはさすが源馬さんのセンスが発揮されているなあ、と。
次回展示は2周年を記念してのドローイング展。DMをいただいたのですが、とても良いラインナップで早速また来たくなってしまいました。

「さんとこ」へお邪魔する以外に岡谷では予定を立てていなかったのですが、駅前の案内看板を見て古い建物が残っていることを知ったので散策がてら見て回ることにしました。
岡谷は製糸業で栄えた街であることを来るまではあまり意識していなかったですが(何となく知っているという程度)、見て回った建物はいずれも製糸業に関係するもの。否が応でも意識してしまいまうというか、当時の繁栄ぶりは相当なものだったんだな、というのがひしひしと伝わってきました。
街の中心部にそびえる旧岡谷市役所庁舎。1936年の市制施行(平野村から町を飛び越して一気に市になったらしい)を記念して製糸家が寄贈したという、威風堂々としたたたずまいが立派です。

旧山一林組製糸事務所・守衛所。1921年建設。山一林組は岡谷でも5本の指に入るほどの大規模な製糸工場で、1300名もの女工が決起してストライキした「山一争議」(1927年)の舞台でもあります。今や誰もおらずすっかり静かな守衛所もそのときは女工さんと会社とのあいだで激しいやり取りが交わされていたのでしょうね。

株式会社金上繭倉庫。読んで字の通り、繭を保管するための倉庫です。最盛期には至るところで見られたというこの繭倉庫も今ではほとんど消滅してしまっているそうです。

糸を作るにもやっぱり水が必要。ということで作られたのがこの丸山タンク。小高い丘の上にあるこの施設で天竜川から水を引き上げて各工場に送っていたそうです。

旧山上宮坂製糸場事務所。こちらは最盛期の岡谷にたくさんあった中規模工場のひとつです。敷地内には事務所のほかに工場なども残されているそうです。

そして岡谷における製糸業の歴史をもっと知りたいと思い、岡谷蚕糸博物館にも足を運びました。

のこぎり屋根を模したファサードが懐かしさを誘います。
入口に市制施行を記念して吉田初三郎に依頼した鳥瞰図のレプリカが展示してありましたが、そこにものこぎり屋根の工場はいくつも描かれていました。
そして入口には「おかいこさま」が。職員の方が投入した桑の葉をもりもり食べていました。生きている蚕を見るのははじめてかもしれません。

官営の富岡製糸場が創業したのが明治5年。そのころには長野にも西洋の機械技術が導入されて、その後日本の実情に合わせた機械製糸の技術が岡谷で生み出されました。生産量は一気に上がり、鉄道を通じて横浜から海外へと輸出されました。また、仕事を求めて全国から女性が岡谷に集まりました。大正時代には岡谷の人口の半分を女工さんが占めていたそうです。
資料館には当時使用されていた様々なタイプの製糸機会が保存展示されているのですが、すごいのはここから。(株)宮坂製糸所さんによって機械が稼働しているところを間近で見ることができるのです。

茹でた繭を手で触りながら糸口を探して複数の繭から出ている糸を一本の糸にしていく作業。富岡製糸場だったり「あゝ野麦峠」だったりに出てくる女工さんのイメージまんまの光景が今の時代に繰り広げられているのが何とも不思議な気がしてしまいます。手作業で糸を作っているのは日本では現在ここだけなのだそうです。
ドアが開いてなかに入った途端、むあっと鼻腔に飛び込んできたのは、茹でられた繭から発せられる独特な匂い。この匂いを当時の女工さん達も嗅いでいたんだろう、一気に当時の景色がリアルに感じられました。
そうそう、「あゝ野麦峠」は飛騨地方から岡谷へ女工に出る女性に聞き取りを行ったノンフィクションだということも今回はじめて知りました。一度読んでみたいと思います。

行き当たりばったりでしたが、岡谷の製糸業の歴史にちょっと触れたひととき。金木犀が香りだしていて、とても心地よい散策となりました。
昨年中之条ビエンナーレで中之条を回ったときには養蚕をやっていた家を何度となく見かけました。「富国強兵」のスローガンのもと、日本の近代化において養蚕や製糸は大きな役割を果たしてきたわけで、もっとその辺りの歴史を自分なりに掘り下げてみたいという欲望がふつふつと湧いてきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?