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【短編小説】妖怪・家猫

 猫ってどれも同じだと思いますか。
 猫からしたら、猫って全然同じではありません。
 猫の中にも特別不思議な猫がいるんですよ。
 それがどんな猫なのか、猫の私が「猫体験記」をお話ししましょう。
 え?あなたはなんていう猫かって?
 生まれたときから猫ですよ。でも、猫というくくりですべてを語られたくなかったら、やっぱり名前は必要でしょうか。
 あ、チョウが飛んでいる。私の色は、あのチョウに似ています。モンシロチョウとかスジグロシロチョウ。白ベースに黒のポイントカラーが入っています。シロチョウに柄が似ているから、チョウって呼んでください。シロと呼ばれると、なんか、あれ。ありきたりなので。

 さて、このチョウさんが出会ったとびきり変わった猫とはどんな猫でしょうか。みなさんには想像がつかないと思います。
 見た目が変わってる?そうですね。誰とも同じではない見た目をしてました。
 声が変わってる?そうですね。あの、猫はほとんど鳴きませんね。
声を聴いたことがありません。
 匂いが変わってる?そうですね。明らかに私と違う匂いがしました。

 でも、あの猫が恐ろしいのはそんなありきたりな理由ではありません。あの猫はとてもありえない性質をしているのです。

 わたくし、チョウが今のすみかを決めたのは夫に誘われたからでした。ある日突然現れた夫はおなかの白毛がふわふわで背中は灰色と黒の縞模様が美しい猫でした。私はそのころ母とはぐれて居場所がなくて、とてもよくしてくれたその夫に救われました。もう2年近くの付き合いでいい時も悪い時もありましたけれど、基本的に頼りになります。そうですね、名前は・・・あ、カエルを見かけたので、夫の名前はカエルにしておきましょう。
 カエルはわたくしにとってはじめてできた友だちで家族でした。カエルと出会った頃は、母の記憶もほとんど消えかけ、とにかくおなかが空いてたまりませんでした。カエルが食べ残したものを食べているうちに、いつの間にか、脇からとっても文句も言わなくなりました。
 そのカエルがもっと居心地のいい場所があると言い出したのはいつだったでしょうか。私がもっと小さいころで、でも最初の子どもがおなかにいた頃ではなかったかと思います。もともとカエルは私がいた場所にはあまり長いこといませんでした。つながれた大きな犬は優しかったのですが、いつもごはんをわけてくれるわけではなく、また私たちより年上の猫たちがしつこくカエルにケンカをしかけてくるので、喧嘩には勝ってもうんざりしていたようです。

 カエルが少し離れた隣の家に拠点を移そうと考えたのも無理はないことでした。お隣は面白い場所でした。木も草もたくさん生えていて、隠れるところだらけでした。大きな建物が3つあって、そのうち一つは扉も柱も古くてボロボロの割にものがいっぱいおいてあって、ちょっと危険な遊びをするのに持ってこいの場所でした。私はそこで2回出産をし、子育てをしました。
 枯れ草の多い庭はまだ小さい子供たちを遊ばせるのには最適でした。秋から冬に移り変わる頃の、私はその庭で多くの生き物と出会いました。たまにはそれらを食べました。カエルはあまり高いところには上りません。けれども、私は建物の二階を行き来したり、大きな柿の木に上ったりするのが好きでした。カエルは長毛の私と違い、冬は寒そうでした。カエルはそんな中で、子猫とよくくっついて寝ました。子猫たちにひっかかれても、ほとんど怒ることはありませんでした。食事を独り占めしようとすると、子猫たちをいかくしましたが、それだけです。
 私は、幸せでした。しかし、カエルは「きみはものを知らない」とよくわたしに言いました。そして、朝夕あの人間臭い母屋の窓辺に行っては中を覗いていました。カエルが行くので、子猫たちも次第に窓から母屋の中を覗くようになりました。私だけのけ者にされたくないので、私もだんだんと窓辺に近づくようになりました。軒下は雨除けにもよかったのです。

 けれども、私は窓の中の景色をそれほど面白いとは、思いませんでした。
そう、家の中にはあの恐ろしい三毛猫がいたのです。

 その猫は人間からセミと呼ばれていました。黒っぽい柄の少し鼻の低い猫でした。目やにがひどくていつも片目を細めているのが、少しカエルと似ています。その猫は私たちが窓辺に近づくとしょっちょうやってきました。そして、カエルに対してうなり声をあげて窓をばんばん叩くのです。猫の縄張り意識は強いです。私はそれほどでもないのですが、カエルのことを招かれざる客とセミが思ったのも無理はありません。けれども、カエルが特に何もしなくても、窓に近づいただけでセミは怒るのです。
「母屋に近づくのはやめなさい」
私は、子どもたちにもカエルにも言いました。しかし、カエルはやめませんでした。最初は食べ物のためかと思いました。母屋の中からはおいしそうなにおいがよくします。
 けれども、カエルはそれよりも母屋の中に興味を持っているようでした。どんなにセミに叱られても、窓に近づくのをやめないカエルにわたくしもすっかり影響されました。そして、悲劇が怒ったのです。
 母屋に住む人間という生き物がある日から、ごはんをくれるようになりました。わたしはそれでも、人間に警戒はおこたらないつもりでした。しかし、油断があったのでしょう。何度か四角い箱につかまって、再び放されることが続きました。一体何がしたかったのか、わたくしは人間に何をされたのか。とても痛い日がありました。しかし、その痛みがひくと体は以前より楽になっていました。けれども、私の子どもの一匹は人間につかまってからそのままいなくなってしまったのです。
「あの人間はとんでもないわ」
わたしより先につかまったカエルが母屋の中に再び侵入しようとするのを見て、わたしは何度も止めました。
「だって、あの中にはごはんがあるじゃないか。雨も雷も心配しなくてよかったじゃないか。少し退屈だったくらいかな」
「あのとんでもないセミさんはあなたを嫌っているじゃないの」
母屋の中にいた頃は、わたくしはセミと直接接することはありませんでした。しかし、カエルは1,2度セミとその後輩のトンボとケンカしました。まあ、トンボさんはいいのです。ただ、わたくしたちに寄ってきてほしくなかっただけでしょう。しかし、セミはどうあっても、夫より優位に立とうとしてました。優しく親切な夫はメス猫からはよくもてます。この場所に住んでからも時々ほかの猫に会いによそに行っているのは知っています。しかし、セミだけは夫になびかないのです。
 セミはあの人間に飼いならされていました。わたくしたちに向ける敵意と違って、人間に対してみせる全幅の信頼。セミは人間に決して怒りません。狭い場所に閉じ込められても、ごはんを減らされても、踏まれかけても、けられかけても、ずっと人間を待っているのです。恐ろしいほど従順です。一方で、怖いもの知らずです。カエルに絶対勝てないのに立ち向かっていくのもそうですが、窓の外から見ていた時も、背後から近づいて人間を蹴っ飛ばしたり、抱えあげられては噛む真似をしたりしていました。それをすればどうなるのか、人間がすっくと立ちあがってセミを見下ろします。何か言う声が聞こえますが、怖くてそれ以上はいつも見ていられませんでした。
「君こそ家の中に入りたくはないのかい?」
外に出てくる人間を見ては少し離れた場所に避難する私にカエルがそんな風に聞いてきたことがあります。
「何されるかわからないもの。絶対に嫌だわ」
「だって、君はごはんを自分で用意できないじゃないか」
カエルは怒るわたしを心底不思議そうに見てきました。細い目はなおいっそう細く、すぐに目を閉じたので、わたくしの返事を聞いていたか分かりません。
「わたしだって自分でごはんをとれるわよ。でも、わたしはずっと子育てしてたのよ」
「あなたが、ごはんを用意してくれるんだから、別によかったでしょ」
「わたしだってひもじい思いは何度もしたわ。でも、危ないことをするよりは我慢した方がよかったでしょ」
 その時、私は自分の気持ちばかり言い過ぎたのです。私はその時はカエルは聞いてないと思ってましたし、むしろ私の意見を聞いてくれないと思っていました。聞いていたところで、反論意見はないのだろうと。実際、夫は家の中に入れないとわかり、外に出てくる人間に少しだけ威嚇するようになりました。
 けれども、ある日言ったのです。
「セミと仲良くなれたならよかったのにな」
まるで、自分が悪いような言い方でした。
「あなたはもてるんだから、一匹くらいいいじゃないの」
 私は人間に子供たちをとられて、ふたたびカエルしか家族がいなくなっていました。カエルがセミにとられたら、一匹になってしまうと不安でした。
「そういうことじゃないよ。わたしにとっては、きみが一番の仲良しだ。けれども、わたしはセミを尊敬しているんだ」
「セミは人間にこびをうって、後輩猫をいいように使っているだけじゃないの」
「セミは気高い猫だよ。だから、わたしと戦うんだ。私がセミの立場ならわたしのような猫からは逃げるか、無視するかして戦わないね。そもそもセミが楽そうに見えるなら、君も家猫になればいいじゃないか」
 私は何も言えませんでした。人間に子猫たちが捕まった頃は雨がよく降っていました。今は大雨か暑い日が多く、カエルは私とくっつきたがりません。暑苦しいというのです。私の毛は夏使用で冬より短くなっているのですが、それでもカエルには耐えがたいようでした。寂しいから一緒にいたいのに、くっつかなくても一緒にいることはできるというのです。そして、カエルは狩りに出ます。人間にこびてみようとします。わたくしはカエルに頼っておこぼれをもらうのです。そんな私は情けないでしょうか。セミのように尊敬できる猫ではないでしょうか?
 セミはどうして人間が怖くなくなったのでしょう。最初は怖かったのではないかしら?それを克服して、あんなに大きな人間といるのに、どうしてカエルと戦うのでしょうか。戦わなくても、この人間のテリトリーはとても広いのに、どうして無理してボスでいようとするのでしょうか。
 セミはわたくしには威嚇しません。何匹かの子猫は家の中で過ごしていますが、セミにいじめられてはいないようです。それどころか、先日窓からのぞきに行ったら、一匹の子猫は鳴いて恋しがってくれましたが、一匹は私を小さく威嚇しました。
「もうかまわないで、おかあさん」
と言うのです。カエルと同じようにわたくしより、セミがいいのでしょうか。そうだとしたら、家猫になっても、わたしはセミより愛されません。セミに遠慮してないがしろにされてしまうのではないでしょうか。
 セミに一体どんな魅力があるのでしょうか。カエルをそでにするくらいですから、オスに全く興味がありません。一緒に暮らしているトンボともそれほど遊ばないようです。人間と暮らしていても、どこか孤高です。家族がたくさんいた方がうれしいわたしが、さびしがりやすぎるのでしょうか。
 どうして誰とも仲良くしようとしないセミがだれにも攻撃されずに、尊敬を勝ち得るのでしょうか。ケンカしても、だれからも嫌われないのでしょうか。わたくしが一匹で自立したら、カエルはわたくしを見直してくれるんでしょうか。
 さびしくて、情けなくて、おなかがすきました。真っ暗な夜にしきりに窓を叩いて鳴き続けました。魔法の器にごはんが現れてほしかったのです。
 しかし、人間はあの怖い箱を持ってきて、中に入れと言ったので、私はやはり威嚇するしかありませんでした。人間はごはんをくれましたが、私を威嚇しないセミが窓越しに見ていて「強くなりなさい」と私に言いました。
「でも、あなたはカエルがいるからそれでいいのかもね」ともセミは付け加えました。ごはんを食べるわたくしをじっと見おろして何が楽しいのでしょうか。わたくしを憐れんではいないようでした。かといってうらやんでもいないようでした。
「わたしにもくれよ」
真っ暗な中で窓からもれる光を頼りにごはんを食べていると、カエルがごはんの匂いに気づいて寄ってきました。
「わたしの子どもたちはどうなるの」
ごはんをかえるに譲ってわたくしは、みじめな気持ちで聞きました。
「君は自分の母親と兄弟がどうなったのか知っているのか。あの子たちはそれほど子どもじゃないんだよ。それにずっと一緒にいるのはわたしも骨が折れるから。怪我も多いしね」
カエルはごはんを食べてもごもごしながら、そんな風に言いました。家族でずっと生きていたっていいじゃないのとわたくしは思います。でも、それが絶対の幸せなのか分かりません。私はカエルと出会い、セミは人間と出会ったというだけなのかもしれません。ただ、目に入れば出会うというものではないでしょう。
 子どもたちは大きくなるほど、わたくしよりカエルに懐きました。わたくしの方が長い時間一緒にいるのに、カエルが遊んであげれば喜び、狩りを教えれば尊敬しました。私だって、教えたのに。私だって、身を隠すすべを教えたのに。すべてやり過ごすことはできないとセミに懐いてしまった子猫は思っているでしょうか。
「お母さんは、お母さんなりに出会いがあって、幸運だったかもしれない。でも、家族といるだけでは私の出会いも幸運もつかめないとわかったのよ」
 カエルはわたくしといると言ってくれる。それだけでいいのかもしれません。今はまだ人間にもセミにもカエルをとられていないのです。
 私は子供たちよりずっと大人、それでも自立しなさいと言われるくらい、甘ったれたところがあるのでしょう。でも、カエルだってわたくしに対して優しいだけではないのです。母の心、子知らずで、子は去って行きました。

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