二日酔いで目覚めた今朝の夢は 青い蝶が、目の前で一旦止まって羽ばたき 沢山の小さな羽のカケラを落としながら飛んで行った。 わたしはその羽のカケラを、まっくろくろすけを掴むメイのように両手で挟み 「掴んだ〜!でも、手放す!」 と言って、 空に両手を広げて、せっかく掴んだ 小さな羽を放った。 ニコニコしてた。 隣には、大阪に引っ越した友達が居て驚いていた。 幸せになれるものを、掴みたい。 頼りたい。 依存して、支えてもらえたい。 でもそれって自分自身にとって、良い
不登校なりかけの親御さんが、不登校母の先輩に話を聞きたいんだと、学校から連絡あった。 地獄の日々のはなし、聞きたいのか… 自分の中の負の感情をどうするか。 結局、子どものことをどうするかではなくて、そちらが大きな事。 土台がしっかりしてないといけない。それが分かった。 わたしはそれ(負の感情)を海辺で燃やし、その灰は風に飛ばされ、そして波に落ちてさらわれていく。 そこまでするかってくらいを想う。笑 その炎を、いつでも浜辺で燃やして待っていてくれるのは、亡くなった祖父母
体験、経験を増やしてあげたい。と日々思っている。それは、私自身にもあてはまること。 そうしないと、言葉の世界で考えてしまうから。ギャップが生まれちゃうから。 自分が経験したことが言葉になると、そこに無理はない。 言葉からいくと、それに縛られてしまう。 たくさんの想いは、自分が描くのではなくて、動いて感じるものだということ。 きっとほんとは、すごくシンプルなこと。
あと10分で約束の時間なのに 考えがまとまらないから、noteに向かう。 何が正しかった、なんて今は決して分からない。 今までも、同じ問答を繰り返し、繰り返し、繰り返しても戻ってくる場所は同じだった。 最後には、穏やかにしてくれる言葉。 でも、それが正しかったのかどうかは、まだまだ分からない。 ここまで、と言う線引きを どんどん詰めて行ったのか それとも、開放していったのか? でない答えと、出しても仕方無い答えに、惑わされてる。 わたしの気持ちは、どこなん
大晦日、1年を振り返って見てみた。 好きな写真や、好きな言葉、 忘れてない場面を思い出してみた。 そして、振り返ってみた1年前の1月2月3月。 PTAの委員長になっちゃって、式典を仕切らなくてはいけない時期に、 不登校の娘の状態は最悪で、一瞬でも私と離れるのが怖いと。そして、不安が募り毎晩のように救急車を呼んでと叫んでなかなか眠らない。 泣き叫ぶ娘と、気を使う息子との3人で、どうしようもない夜を毎日迎えていたなぁ、なんて思い返した。 あれからまだ1年経ってなかっ
ゆっくり、のんびり、ほっこりと。 そう思っていたのに。 「他人の幸せ」に揺さぶられてしまって、自分がゆーらゆら。 羨ましい。でも、それは欲しくないの。 つよがり?かもしれないけど。 もしもそれを私が得たら、そこからどんどん堕ちていくのが分かる。それは私が欲しいものじゃない。 曖昧で、微かな何かを持ちながら過ごしている。 そんな毎日は、苦しくて嬉しい痛みでいっぱいで、幸せ感じてたはずなのにね。 簡単に揺さぶられちゃって。 情けないな〜 今夜は新月。 次の満
不登校になって1年以上の娘。 行けたり、行けなかったり、行かなかったりだから、完璧な不登校でもないけれど。 まわりのママたちは、時に涙を流すほど娘を心配し、私のことも気にかけてくれている。 でも私が彼女のことを想うとき。あれ?そんなに深刻になれないな…って。一年経って、他人事のように感じることがある。 「あなたなら勉強はすぐ追いつく。 あなたなら友達もいつでもできるよ。 いま学校行けなくても、行かなくても、大丈夫。」 この1年間半でたくさん娘とぶつかり、感情を殺
息子の6歳のバースデー。 彼が欲しいと言ったのは、デジカメ。 景色や人や物を撮りたいと、思ったことが嬉しかった。 写真と人生は似ていると、いつも思っている。 選択の連続。 同じ空の下にいても、人それぞれ。 空を見上げるという選択。 それを撮ろうとする選択。 どこを撮るか、なにを撮るか、どんなふうに切り取るか。 そして撮ったものを、そのままにするのにか、 誰かに見せるのか、プリントするのか。 どの写真を選び、どんなふうに並べて見せるのか。 そうやって、ひ