この一年を振り返り来たるべき年を想う

すべてが足踏みの年だった

――毎年十二月号では、この一年をふりかえって反省すべき点を指摘していただき、来年への展望と期待とをお聞かせいただいておりますが、今月もその点についてご指導をお願いいたします。まず、今年一年はどういう年であったかを概括していただきたいのですが……。

五黄の年は危険の多い年であることを年頭に話しておきましたが、やはりそのとおりでしたね。あちこちに起こった大きな天変地異もそうだけれども、いちばん重大だったのはソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故。これは大地震や暴風雨などと違って明らかに人間が引き起こしたもので、しかも当の局地ばかりでなく広い地域の他国にまで影響を及ぼした点において、近年最大の事故だったと言っていいでしょう。
 
しかし、「禍いを転じて福と為す」で、世界中の人びとが核の恐ろしさをあらためてつくづくと考えさせられました。それかあらぬか、ソ連とアメリカは十月のレイキャビク首脳会談で、戦略核兵器や中距離核戦力の大幅削減について原則的には合意に達しましたね。国家というものは利己的で、わがままで冷酷なものだけれど、ギリギリのところまで来ると、やはり譲歩したり協調したりする英知がちょっぴり残っていることを知って、いささかホッとしました。
 
しかし、結局、この会談はSDI(戦略防衛構想)をめぐる対立でもの別れになってしまった……もう一歩のところで足踏みしてしまったのは残念でした。やはりわれわれ宗教者はあくまでも粘りづよく核廃絶運動を続けていかなければなりませんね。

――日本の国内情勢については、いかがでしょうか。

まあ「円高」がいちばんの問題でしたね。日本の経済の実力が世界に認められたのには違いないのだが、いいことづくめはないもので、マイナス作用として円高不況が深刻になりつつあります。
 
何事につけてもバランスが大切で、仏教で説く「中道」が経済問題においても真理であることをハッキリ思い知らされます。政府もそのバランスとりにいろいろと手を打っているけれども、これまた一向に効果があがらず、足踏み状態のようです。
 
それよりもっと重大なのは、子供たちの問題ですね。このあいだも大阪の天王寺で野宿している人たちに向かってエアガンを発砲して怪我をさせています。ひどい話ですね。もはや家庭内や校内だけの問題ではなくなった。国と民族の将来を担う子供たちが心配です。
 
道徳教育がやっと日の目を見ようとしているけれど、わたしに言わせれば、それをもう一つ超えた「宗教教育」というか「宗教的な情操」を養うことが根本の要件だと思うんです。
 
そういう面へのわれわれ宗教者の配慮が十分だったか、有効な活動が行われたかどうか、これも今年の反省点の一つですね。

――その反省点を、教団の内部だけに絞ればどんなことになりましょうか。

宿題として残るのは、新しい体制づくりの問題。これは、信仰の徹底と布教の活性化を目標としたものだけれども、率直に言って、幹部さんたちがまだ暗中模索の状態ですね。まあ、今年は足踏みの時、ジックリと足もとを固めていって、六十三年の創立五十周年を期として整然とした歩みを踏み出す、ということになりましょう。
 
ものごとには「時」というものがあります、「時」に逆らってはいけない。こういうことでしょうね。 

実践こそが宗教の生命

――分かりました。では来年はどんな「時」でしょうか。

来年は四緑中宮の年、季節で言えば晩春から初夏、一日で言えば午前七時から十一時までの時刻、人間の一生で言えば青春のまっ盛り、すべてが明るくなる星まわりです。
 
だから、これまで足踏みしていたのが、ある縁を得て前進を始める。心の中であれこれウジウジと考えていたのが、パッと素直になって、スーッと行動へと発散していく。来年にはそうした「時の勢い」があるのだから、その勢いに乗って活動していただきたいものです。

――そううかがって、希望がわいてまいりました。活動といえば、やはり布教ということでしょうか。

そうです。それが活性化の原点ですからね。たんなる布教だけでなく、それに伴うアフターケア、すなわち「手どり」をキメ細かく行い、また、信仰者同士が魂と魂をぶっつけ合って救いを実現する「法座」という場をイキイキしたものにし、そういったいろんな活動が渾然一体となって燃焼していかないと、宗教というものは風化していくんです。この点、戒心の上にも戒心が必要です。
 
仏教がインドに起こって、なぜインドでは滅びたのか。いろんな説がありますが、種智院大学教授の頼富本宏さんは、たいへん傾聴すべき論を出されています。
 
十三世紀にイスラム教徒がインドに侵攻してきて、仏像も、仏塔も、僧院も、そして僧侶をも、ありとあらゆる仏教関係のものを殲滅してしまったのですが、そのことについて頼富さんは、――同じイスラム教の攻撃を受けながら、ヒンドゥー教は生き残って現在まで活動が続いている。どこが仏教と違っていたかというと、仏教の出家者たちは僧院に集まって一般在家者とは離れて存在していた。そして、在家の人びとは、いろいろな行事や儀礼にはヒンドゥー教に依存していた。だから、仏教を攻めるには僧侶と僧院とを破壊すればよかったのに対して、ヒンドゥー教を滅ぼすにはインド人をみな殺しにしなければならなかったのだ--と語っておられます。
 
それぐらい宗教というものは、大衆との密着が大事なんです。インドの場合は、イスラム教徒という外部からの力で滅ぼされたわけですけれども、よしんばそれがなくても、大衆から離れてしまっては、いつかはひとりでに風化していくものなんです。
 
今度、わたしどもの会で組織の立て直しをしようとするのも、つまるところは一般の信者さんたちと幹部さんたちとが緊密に結ばれ合うように……というのが目的なんですから、――組織変えができてから――なんていうのではなしに、今日ただいまからそういう心構えで信仰活動をしなければならない。そうしてだんだん基礎が固まったところで新しい体制が発足すれば、その日から軌道に乗った前進がスムーズに出来るわけです。ここのところを、よく分かっていただきたいものです。

読誦修行から思わぬ結果が

――それには、まず、幹部さんたちの姿勢が大事……というわけでございますね。

そのとおり。幹部が変われば信者さんみんなが変わる。一念三千ですよ。
 
このあいだ札幌に行ったとき、幹部の人たちに集まってもらったんだが、「青年総部長を支部長の仲間に入れてもいいですか」というんで、「ああ、いいよ」と答えたわけです。
 
で、青年総部長と壮年部長が来て、支部長さんたちが二人、三人といろんな話を聞かせてくださっているうちに、青年総部長が自分の体験を話したんですが、それがいい話でね。
 
――今年いろいろとやってみたが、どうも青年部員たちが動かない。努力しない。もっとやってくれなければ……と悶々としていた。ところが、ふと「これは部員たちが悪いんじゃない。自分だ。自分が至らないんだ」ということに気がついた。「そうだ」というので、一般の幹部さんとともに読誦修行を始めた。ところが、そうして読誦修行をしていくと思いがけない結果が出た。これまで導きのできなかったところまで導きができ、素晴しい成果をあげた――という話です。

読誦修行と布教とはちょっと関係がなさそうだが、そうではない。そこにチャンとつながりがあるのが信仰というものの不思議さです。
 
わたしがその話を聞いて、「それが天台大師の一念三千だよ。自分の一念が真剣になれば、三千の条件が整う。天台大師がここに一人生まれた」と言ったら、三十人ばかり集まっていた札幌の幹部さんたちがいっせいに、「うーん」と歎息していましたよ。
 
これはね、私がこのような話を紹介したからというので、「それでは、うちの教会でもやろう」と、ただ形だけを真似ても駄目なんです。やはり一念発起した人の、その一念がどのようなものか、そこが大事なんですから。
 
とにかく自分が変わること、変わってみせること、これが教化の最高の要諦ですよ。

精進すれば必ず加護がある

――自分が変わるという実践をしていれば、必ず諸仏が護念して下さるわけですね。

まったくそのとおり。普賢菩薩勧発品の「四法成就」の教えの第一に、「一には諸仏に護念せらるることを為」とある。これが信仰の究極の境地ですよ。真剣に精進している者には必ず仏さまのご加護があるんです。逆に言えば、仏さまのご加護があることを確信しておればこそ真剣な精進ができる……ということにもなる。
 
信仰を持たない人でも、あることにけんめいに努力する人はたくさんあります。しかし、たまたま壁にぶつかったり困難に出合ったりした場合、よほど意志の強固な人でないと、そこで挫折してしまいやすい。すくなくとも足踏みしてしまう。
 
ところが、ほんとうの信仰者は、自分が努力しているそのことが正しいことであるかぎり--正しいことをくり返しくり返し実践するのが「精進」なんだから――必ず諸仏・諸菩薩・諸天善神のご加護があることを確信している。だから挫折することも、退転することもなく、目的に向かって突き進むことができるわけです。
 
インドに十七年間も行っていてたくさんの経典を中国に持ち帰った玄奘三蔵について、水野弘元博士がある雑誌にこんなことを書いておられました。
 
玄奘三蔵がまだ中国の成都のお寺で勉強をしているとき、そこに病気で寝ているお坊さんがいた。その人をお見舞いに行った玄奘が、わたしはこれからインドへお経を求めに行きたいと思うと話したところ、そのお坊さんは、――インドへ行く道には砂漠があったり険しい山があったりして非常に危険な旅になる。わたしはインド語で書かれた般若心経を持っているのでそれをあなたに上げよう。危険な目に遭ったらこれを読まれるがよい、必ずお助けがある――と言ってくれた。
 
玄奘はそれをもらってインドへ旅立ったが、途中で非常な困難に遭ったことが四十九回もあった。そのたびにその般若心経を読んだところ、なんとか危険から救われた。
 
やっとインドのナーランダの大学に着いて、何千人という学僧といっしょに勉強したが、その中になんと成都のお寺で病気になっていたお坊さんがいたのです。まもなくそのお坊さんは亡くなりましたが、死を前にしてそのお坊さんは、――実は自分は観世音菩薩の化身だ――と言ったというのです。
 
そして水野先生は、その実話の結びとして「仏菩薩を拝することによってその化身となった。そういうこともあるのです」と書いておられます。その「化身」ということを現実的に考えれば、人さまに対していろいろな親切を尽くす、「四法成就」の第二条の「諸の徳本を植え」ることを実践すれば、その時点において、すくなくともその瞬間において、その人は観世音菩薩の化身だと言っていいんじゃないですか。
 
その親切行も、一人ではなかなかまとまったことができない。正定聚に入っておれば、アフリカへ百八十万枚もの毛布を送ることができる。そういう国際的な菩薩行をやっておれば、ひとりでに「一切衆生を救うの心」が起こってくる。
 
こう見てきますと、「四法成就」の法門はまことに有り難い、しかも現実に即した教えですね。来年の修行の心構えも、やはりこれに尽きるんじゃないですか。

――今年一年、どうも有り難うございました。来年も一生けんめい頑張ります。

『躍進』1986年12月

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