見出し画像

高校までの紆余曲折とした(と思っていたのは親だけだった)道②

 結局隠岐の島の暴走はなかったかのように秋を迎える。部活も終わっていよいよ塾にも行くかなとも思ったが、この期に及んで「塾って行かなきゃいけないの?」と言うので、「いやいや、自分で勉強できるなら、全然行かなくてもOK!」ということで、結局最後まで塾には行かなかった。ほとんどの子が塾に通っている中、ある意味勇気ある行動である。そもそもアキは早寝早起きで、夜寝るのが大変早く、とても遅い時間まで塾に通うことができないのだ。早寝の習慣は受験まで変わらず、9時には(下手すると8時半ころには)寝ていた。6歳下の妹のほうが遅くまで起きていた。受験生でこんなにたくさん寝てすごい。もしや睡眠学習法とかしているのだろうか?と思わせるほどだった。

 そうこうしているうちに、新しい年が明ける。結局近所の高校のどれかを受験するつもりのアキ。模試では地元ではランクが上とされているM高校がいつもボーダー線上。その次で、まあ成績に見合っているのがK高校。兄が通うO高校の、大変お世話になったY先生が次年度から主任でアキの学年を受け持つことを知っていたので、そちらも私としては勧めたい。兄は高校見学の瞬間にO高校志望を決めていたが、アキは最後までずっと悩んでいた。

 アキの慎重な性格からすると、K高校を志望するのだろうが、なんか、私がK高校ってどうかな~、アキに合うかな~と否定的に言ってしまったのを本人も頭の片隅に入れてしまっているようだ。親はどこまで自分の意見を言うべきなのだろうか?実際、K高校には、兄の時とアキの時、私も2回学校見学に行ったのだが、どちらもあまりよい印象を持たなかった。なんか、やらされている感満載というか・・・。今回もPRのDVDに映っている体育館の横断幕に踊るスローガンをみてげんなりしてしまった。「がんばれ、〇〇高校生!」「がんばるのは、いつでも今、この時!」みたいな。K高校は少し前まで小さな市のローカル感あふれる高校だったようなのだが、今はかなり進学に力を入れていて実績を伸ばしているような成長中?の高校のようである。多分学校全体の雰囲気としても、実績をあげるのが至上命題になっているのではないだろうか。まじめな性格のアキがこういう高校に通ったら、ますます「~ねばならない」的な感性を身に着けて苦しくなってしまうのでは、という懸念が私があまり賛成できない理由だった。

 ついに都立の願書を出さなければならない日の前日の夜。この時までどうしようと本人は悩んでいたのだが、M高校に出願。なんと、慎重なアキがよく決断したことよ。ただし、倍率が1.3倍以上だったら取り下げて別の高校に出し直すとのこと。そして倍率が公表されると、1.3倍をほんの少し、超えていた。まあ、少しだし。アキ、このままM高校でいいよ!併願の私立もよい学校だし、落ちたらそっちで全然いいし!内心そう思っていた私。だがアキはきっぱりしたものだった。M高校は取り下げるという。え~、なんかもったいなくない?とやはり内心未練がましく思う私。それに、取り下げて、最終的にどこの高校に出願しなおすのか、また悩んでいるアキ。再び前日の夜になっても悩んでいる。そして突然、N高校にする、という。え?今までN高校なんて何にも言っていなかったけど。確かにN高校の見学に行ったときの先生の話はよかった。失敗から学んでほしい、と言っていた。N高校でいっぱい失敗の経験をしてほしいんです、と。その時私の隣に座っていたアキは(文化祭で吹奏楽部の最後の演奏をした後で疲れていたとはいえ)、船漕いでほとんど話なんか聞いていなかったよね?それでいいわけ?

 翌日は私立の受験日で、同時に都立の再出願書類を学校に依頼する締切日だった。受験期間を通してこの時私は親として最大のミスをした。朝、これから私立の受験に出かけるアキに、「都立、取り下げしなくてよくない?今日ならまだ間に合うから!夕方まで考えてみない?」などとしょうもないことを言って送り出してしまったのだった。落ち着いて受験に臨む環境こそつくるのが親の役目であるのに、余計な混乱を与えてしまった。ああ。アキは困った時にいつもする、どうしていいかわからないような微妙な笑顔でいた。

 まあ、でもアキはそんな私の戯言を聞き流してくれたようだ。私も昼までには自分のしたことのバカさ加減に気づき、アキの選択にこれ以上何も口出ししない!と誓ったのだった。アキが自分で決めたこと、それを尊重すべきだ。自分自身の未熟さを反省。アキがM高校に行ったら私も「M高校生の親」になれる~ちょっと自慢かも~みたいな虚栄心がなかったとは言い切れない。まだ親になり切れていない。でもアキが気づかせてくれた。

 やっと志望高校も決まって母子共々晴れ晴れした気持ちでいたその夜。実家にいたつれあいから電話。アキの高校がどうなったか聞かれる。私は悠然と「結局N高校にしたんだよね~」と答えるがそこでまたひと波乱。「えっ!K高校じゃないの!?え~なんで~」。えっ、と言いたいのはこっちだ。高校なんてどこだって一緒だと今までさんざん言っていたではないか。「う~ん、私がK高校ちょっと、って言っちゃったからかな~」と取り繕うと、あろうことか、「母親の影響が強すぎるよな~」とのたまう。えっ、私のせいなわけ??不快な気分で電話を切る。「どこの高校でも一緒」ってそういうことか、と今さらつれあいの意図がわかる。わかったところでどうにもならないし、私はアキの決断を尊重するだけだ。

 結局つれあいも、もう言ってみてもしょうがないと理解したようで、次の電話の時にはそのことには何も触れなかった。

 こうしてアキはN高校を受験。見事合格し、晴れてN高校生となった。思えば(母)親の思いもあって離島にまで足を延ばすような長い道のりを辿る羽目になったが、最後は自分の意志で地元の高校を選んだ。中学校の卒業式の日に、私が担任の先生にご挨拶すると、最後はきっぱりと潔い決断をできてほんとうに立派でした、とお褒めの言葉を頂いた。私も同感である。アキ、立派だったよ!


画像1

 親の「よかれ」はたいていの場合、子どもにとっては役にたたないどころか迷惑千万であることが多い。内田さんはカウンセラー暦50年弱。傷ついた多くの子ども、そしてその親に寄り添ってきた。その語り口は優しいながらも言葉には芯の強さがある。親子であっても親と子は別の人格を持った個人である。親は時に失敗しながらも目の前の子を信じて、その子がやはり時に失敗しながらもじぶんの力で道を切り開き、歩んでいくのを見守るしかない。親は無力でいい、無力がいい。



 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?