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稽古はじめ

コロナが落ち着くことなく、2020年が去り、2021年の稽古が始まった。例に漏れず、今回も選手を集め、PCR検査陰性の結果を以て練習が開始される。ホテル内に道場とトレーニングルームを設け、そこから一歩も出てはいけない。4度目ともなると、皆慣れたもんである。


面白いもので、畳の上に立つと、本当に多くのことを考え、思い付き、いろんなことがリンクしていく。ここは私の心躍る場所だということに気づく。今日もまた畳の上に立てることに感謝し、ただただ、思ったことを綴っていきたいという衝動に駆られ、書き始める今日、2021年1月5日。


黙って指導するということを最近は覚えた。覚えたというより、選手の成長を邪魔しないようにしようと思うと、黙るに尽きる。。。というだけのことかもしれない。
選手たちが自分のやっていることに没頭し始めた時の彼らの顔と静寂が、私はこの上なく好きだ。打ち込みにしろ、乱取りにしろ、いくら準備運動を入念にやったとしても、最初の数分は全体的に気が散っている。それが徐々に自分だけの世界に入っていき、感覚を研ぎ澄ませ、自分の為だけにやり始めるポイントがある。こうなれば、放っておいても成長していく。そしてまた気が散りだすポイントに入るのだが、そこを粘ってやらせるか、やめにするかは、その時の練習目標によりけりである。
今日は二人の選手が、全体練習以外に個別で打ち込みをやりたいというので、その練習を見に行った。そして、自発的に練習をはじめ、例の私の大好きなポイントに入った瞬間に、ふと思わされた。

指導者が選手の技を手直しすることに何の意味があるのか。。。

技とは選手が自分のものにして、操れて、初めて彼の技になるのではないか。ならば、とことん悩ませて、自分のしっくりくる状態にたどり着くまで、ただ待ってやるのが一番の近道なのではないかと。そうして習得したものは、きっとより効果的だろうし、きっと楽しいだろう。要は、没頭できる環境づくりさえしておけば、あとは見守るのみ、ということか。
今日も面白い発見、新たな気付きを与えてくれた選手たちに感謝。


息子よ、君がわき目もふらずボールを追いかけて走っている時の顔、母は大好きです。
娘よ、母の口紅をずーっと塗りたくって、顔全体が真っ赤になっていることがよくあるが、それも没頭ととらえ、許します。

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